2010年1月、宿命のライバルであるJALが会社更生法を申請し経営破綻した。だが、会社更生法と併せ、3500億円もの公的資金を投入した支援策は、後に公正取引委員会の指針案「公的再生支援に関する競争政策上の考え方」でも、競合会社との競争環境を歪めると指摘された、著しく不公平なものになった。破綻企業に対する公的支援のあり方に、大きな課題を残すことになった。

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開き直って腹を括った社長就任

 私がANAの社長に就任したのは、リーマンショックから半年後の2009年4月。「100年に1度」と言われた経済混乱のなかでの社長就任だった。「最後の社長になるのではないか」。そんな考えがふと頭をよぎるくらいに、状況は危機的だった。

 実際、就任初年度である09年度の決算はさんざんだった。売上高はピーク時に比べて2500億円以上減り、営業損益は542億円の赤字、経常損益は史上最悪の863億円もの赤字だった。いつ社長をクビになってもおかしくない成績だ。しかし、将来に向けた競争力を確保するには、機材更新を進めることは必須であり、ここで縮小均衡の道を歩むわけにはいかなかった。大赤字の一方で、09年度も機材投資は計画通りの規模で続けた。

 ANAが危機を乗り越え、新たな成長ステージに向かうためには、創業以来の「現在窮乏、将来有望」という合言葉を胸に、コストを絞り、耐えに耐えていかなければならない。従業員にも会社の危機的な状況を正確に共有してもらうために、経営情報を詳細に開示した。「ダイレクトトーク」と称して全役員がグループ内のあらゆる現場を訪ね、危機感を共有し、自分たちの足で立ち続けるために、できることについて議論を重ねた。

 その結果、これまでにないスピードで、様々なコスト削減策を実現するに至った。賃金カットやボーナスカット、業務の抜本的な見直しや組織のスリム化など、やれることは何でもやった。所定内労働時間を週37時間から40時間に延長するのにも協力してもらった。

 これらがあったからこそ、翌10年度決算では678億円の営業黒字に回復した。会社の窮地を救いたい思いで一体となった従業員の懸命な努力は、ANAがいち早く復活できる力になった。

 復活のために、株主の皆様にもご迷惑をおかけした。従業員も労働時間の延長まで受け入れて耐えてくれている中で、どんな批判があろうとも、生き残りをかけて、将来に向けた手を打つ必要があった。危機を乗り越えるために09年7月には約5億株を公募増資して約1300億円を調達し、財務的には一息つけた。しかし株主からは、「公募増資して株式を希薄化するとは何事か」と厳しく批判された。

 実は、私は社長在任中にもう一度公募増資を行っている。最初の公募増資から3年後の12年7月~8月に今度は約10億株を発行して約1700億円を調達した。希薄化で株主の皆様にご迷惑をかけたことについては申し訳なく思っている。この資金を活用して、次の成長を実現し、株主の皆様に報いることが経営者の責任だと強く思った。

 大変な逆境の中での社長就任だった。 “民間企業としてのANA”は、ここで全社員がひとつにならなければ倒産するという危機感に満ちていた。