目指すのではなく、
自然に「高収益」へと舵をとった

 一割で三〇〇万円の税引前利益が出て、そこから半分税金がとられる。私もそれが惜しいと思い、「国というのは、時代劇に出てくる悪代官みたいなものだ。みんなが怒るのも無理はない。われわれ庶民を痛めつけて税金をむしりとる。けしからん」と憤ったぐらいです。ですから、税金をとられるのはもったいないので、ごまかして脱税しようと考える人も出てきます。

 あるいは、「汗水たらしてがんばったのに、何の手伝いもしてくれなかった国に一五〇万円もとられるぐらいなら自分で使ってしまおう。三〇〇万円も利益が出たから半分とられる。だったら、利益を減らせばよい。それだけの余裕があるのだから使ってしまおう。交際費で使うとか、従業員に臨時ボーナスでも出して、自分も経営者として少しもらう。山分けをして利益を減らそう」と考えるわけです。

 この場合、最初の魂胆は、とられる税金が惜しいので、それを減らそうという発想だったのですが、それは期せずして低収益を望んでいることになるわけです。本当は、税金がけしからんから、税金から逃げようとしているだけで、決して低収益を望んでいるわけではありません。しかし結果として、そのメンタリティが、自分から望んで「低収益のほうが結構だ」という考えに結びついているわけです。

 私は借金を返そうと思ったものですから、脱税しようともしなかったし、山分けをしようとも思わなかったのです。さらに収益性をあげて、一〇%の売上利益率だったものを、二〇%にしよう。そうして税引後に三〇〇万円残るようにしよう。そうすれば三年間で借金が返せるではないかと、素朴にそう考えたのです。

 そのときは「高収益を目指そう」とは思っていませんでしたが、とにかく、税金も全部払った残りが三〇〇万円必要だと思ったからこそ、自然に「高収益」企業へと舵をとったわけです。つまり、「借金を返すためには、高収益でなければならない」と自分なりに考えたことが高収益企業への始まりだったのです。

『稲盛和夫経営講演選集 第3巻 成長発展の経営戦略』、「なぜ高収益でなければならないのか」より抜粋