日本語は極めてハイコンテクストな言語である。「文字どおり」という言葉があるが、日本語では文字どおりでないことがたくさんある。このような言語特性があるため、俳句や短歌のような文学表現方法が高度に発展したといってよい。短い文章で世界を切るとることができるのは、一つ一つの言葉や文が、極めて多義的に理解できるからである。

 古池や 蛙飛びこむ 池の音 (芭蕉)

 という俳句にはいくつもの英訳がある。

The old pond-- a frog jumps in, sound of water.
An old silent pond... A frog jumps into the pond, splash! Silence again.
Antic pond-- frantic frog jumps in-- gigantic sound.

 どうだろう。芭蕉のオリジナルに対して、3種類の英訳がある。それぞれに、よい訳である。しかし、それぞれの英訳に描かれている世界はかなり違う。調べてみるとわかるが、この芭蕉の有名な俳句には、20以上の英訳が存在する。

 散文であれば、これでよいのだろう。しかし、ビジネスの世界で、一つ一つの言葉や文が、多義的に理解されることは望ましいとはいえない。その典型例が契約書である。契約者間で、契約書の内容について異なる解釈があれば、生じた係争の処理は、困難を極めることになるだろう。それゆえに、極めてハイコンテクストな日本語を使用していても、契約書の内容は100名が読んでも、同じ理解が得られるように作成されている。

 日本語のこの特性について正しく理解しておかないと、ビジネスの世界で大きな問題が生じる。というよりも、問題が生じているにもかかわらず、だれもが自分が理解しているように、他者も理解しているに違いないと思い込んでいるので、時間が相当に経過してから、多義的な理解(指示した人から見れば、他者による誤解)が生み出した深刻な事態に、愕然とすることになる。