三流の維新 一流の江戸
【第13回】 2017年1月2日 原田 伊織

「尊皇攘夷」は
薩長テロリストの
キャッチフレーズにすぎない

江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
そして、今回さらに踏み込み、「2020年東京オリンピック以降のグランドデザインは江戸にある」と断言する。
『三流の維新 一流の江戸』が話題の著者に、「薩長テロリストの正体」を聞いた。

天皇とはどういう存在であったか?

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

 民にとって天子=天皇とはどういう存在であったか、この点の認識を誤ると、動乱の時代の解釈も間違うことになる。

 大東亜戦争(太平洋戦争)が終わって占領軍が、国際法に違反する今の憲法を押しつけるに際して、わざわざ天皇を「日本国民統合の象徴」であるとしたが、笑止千万(しょうしせんばん)といわざるを得ない。

 古来、大和の時代からこの国の天子は、大和民族統合の象徴であり、それ以外の何ものでもなかったのである。

 結局、江戸期の諸学の隆盛が「尊皇論」を生み、同時に「佐幕」という概念と言葉も創った。幕末近くになると、幕臣から諸大名に至るまで、即ち、武家の間に「尊皇意識」は深く浸透しており、幕末動乱期には「尊皇佐幕」という立場が武家としてはむしろ一般的であったと考えられるのだ。

「佐幕」とは「幕府を助ける」という意味であるが、幕府そのものも、そして時の天皇孝明(こうめい)天皇その人が「尊皇佐幕派」の代表であったことを知っておく必要があるのだ。

「尊皇攘夷」を声高(こわだか)に叫ぶ薩摩長州のテロリストたちを動かしていた桂小五郎や西郷吉之助(隆盛)、大久保一蔵(利通)たちには、その実に於いて「尊皇」という意識が強烈にあったかといえば、それは全くなかった。それは、討幕のための、そのためのテロ活動のための単なる「大義名分」或いは単なるキャッチフレーズに過ぎなかったのだ。
 そのことは、彼らの幕末動乱期の活動、行動が明白に物語っている。

 彼らは、「尊皇」という時代の気分を、更には天皇そのものを露骨に利用しただけに過ぎない。

 特に、彼らの朝廷、天皇の政治利用については、明治維新というものの実相を浮かび上がらせるためには、何はさておき詳(つまび)らかにしておかなければならない。

対外膨張と天皇の政治利用

 明治から昭和に至るまでの対外膨張主義も、天皇の政治利用なくしてあり得なかったのである。

 一方、徳川将軍家は勿論、旗本・御家人といった幕臣たちや諸大名は、ほとんどが「尊皇佐幕派」といっていいだろう。
 当時の読書人階級=武家にとっては、当然の教養、知識であって、彼らが身につけていた学問的素養に照らして「尊皇」という倫理観にも似た気分と「佐幕」という政治的立場は全く矛盾していなかったのである。具体的な人物でいえば、以下の幕末動乱期の主要な登場人物は、すべて「尊皇佐幕派」と位置づけられる人びとである。

・時の天皇 孝明天皇
・十四代将軍 徳川家茂(いえもち)
・十五代将軍 徳川慶喜(よしのぶ)
・京都守護職 松平容保(かたもり)
(会津藩主)
・大老 井伊直弼(なおすけ)
(彦根藩主)
・京都所司代 松平定敬(さだあき)
(桑名藩主)
・薩摩藩藩父 島津久光
・土佐藩主 山内容堂(ようどう、 豊信<とよしげ>)

 その他、藩でいえば奥羽越(おううえつ)列藩同盟を構成した諸藩や、新撰組局長近藤勇、思想家であり兵学者でもあった佐久間象山(さくましょうざん)、そして、小栗上野介、木村摂津守(きむらせっつのかみ)、水野忠徳(みずのただのり)、岩瀬忠震(いわせただなり)、川路聖謨(かわじとしあきら)といった列強との通商交渉に当たった幕府高官はすべてこの範疇に入る。

 付言すれば、幕臣でありながらも勝海舟は明らかにこの範疇に入らず、どこまでも「討幕派」である。
 一般には、意外な人が、と思われる列挙かも知れないが、以上はほんの一部に過ぎない。

 真っ先に挙げた孝明天皇とは、長州人が口を開けば「尊皇攘夷」を喚いていた、まさにその時の「尊皇」に当たる人であるが、この天皇が、討幕を、また天皇親政を考えたことは微塵もない。

 政治は幕府に委任しているし、そうあるべきものというのが、この天皇の一貫した考え方であった。

 その意味で、「尊皇佐幕派」の筆頭に位置づけるべきであろう。
 そうなると、この天皇がおわす限り薩摩長州の武力討幕は、不可能である。
 討幕という目的の最大の障壁が、実は孝明天皇その人であったのだ。

我が国テロ史上
最も恐ろしい暗殺劇

 ここに、我が国テロ史上でも、もっとも恐ろしい暗殺が発生することになる。

 このことは、本書のテーマから余りにも乖離するので今は触れないが、薩摩の島津久光が「尊皇佐幕派」であることに驚く読者がおられるかも知れない。
 しかし、このことは、土佐藩山内容堂以上に明白な史実である。
 島津久光や山内容堂が「尊皇佐幕派」であって「討幕派」ではなかった点にも、幕末の実相を理解する大きなポイントがあるのだ。

 歴史に「もし」(ヒストリカル・イフ)は禁物、とよくいわれるが、敢えて「もし」と考えてみる。

 もし、薩摩長州のテロを手段とした討幕が成功せず、我が国が「明治維新という過ち」を犯さなかったら、我が国はその後どういう時代を展開し、どういう国になっていただろうか。

 この解は、薩摩長州勢力が全否定した江戸という時代が、どのような政治経済システムを有し、どういう社会システムを創り上げ、どういう性格の文化を成熟させたかを理解しない限り解けないのである。

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など