三流の維新 一流の江戸
【第14回】 2017年1月4日 原田 伊織

徳川慶喜の大政奉還に隠された
深刻な事情

ベストセラー『明治維新という過ち』が話題の原田伊織氏は、これまで「明治維新とは民族としての過ちではなかったか」と問いかけてきた。
江戸という時代は、明治近代政権によって「全否定」された。
私たちは学校の教科書で、「明治の文明開化により日本の近代化が始まった」と教えられてきたが、はたして本当にそうなのか?
衝撃的なタイトル『三流の維新 一流の江戸――「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』が話題の著者に、「徳川慶喜の大政奉還に隠された深刻な事情」を語ってもらおう。

教養人徳川慶喜と大政奉還

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など

 慶応三(1867)年、土佐藩が将軍徳川慶喜に対して大政奉還の建白書を提出した。
 これも、実は徳川慶喜が土佐藩に出させたものである。
 かたちはあくまで、土佐藩独自の建白書である。

 慶喜はこれを受けて京都二条城に諸藩を召集(約四十藩が参加)、大政奉還について諮問(しもん)した。
 諮問といっても、これは形式手続きに過ぎない。
 慶喜は即、明治天皇に対して上奏文を提出、その翌日、天皇は参内(さんだい)した慶喜に対して「大政奉還勅許」の「沙汰書」を授けられて、これで大政奉還が成立した。

 土佐藩が建白書を提出してから、僅か十二日後のことであった。

 このように表現してしまうと、日本史を揺るがせた大激変が、実にシンプルでスピーディに成就(じょうじゅ)したかにみえるが、これは表面(おもてづら)だけのことで舞台裏は壮絶であった。

 慶喜がこれほどまでにスピーディに事を運んだのは、そうせざるを得なかった深刻な理由があったのだ。

 この慶応三年十月時点では、朝廷内の討幕派公家は少数派であったことを、まず基本環境として理解しておく必要がある。

 三条家という長州派の過激派公家は四年前の文久三(1863)年の「八月十八日の政変」で追放されており、岩倉具視を中心とする少数の討幕派公家はいずれも下級公家である。八十年ぶりの摂政(せっしょう)に就任していた二条家や賀陽宮(かやのみや)家という親徳川派の上級公家が朝廷の主導権を握っていた。

岩倉具視と大久保利通が作った密勅

 そこで、岩倉具視や薩摩の大久保利通たちはどうしたか。
 偽の勅許(ちょっきょ、密勅)を作った。
 偽の「討幕の密勅」である。
 これは、天皇、摂政の署名もなければ花押(かおう)もないという“天晴(あっぱ)れな”偽物である。

 ところが、慶喜サイドではこれを「密勅が下る」と解釈した。
 教養人慶喜は、まさか大久保たちが勅許の偽物を作るなどとは考えもしない。
 密勅とはいえ勅許が下ることは、幕府としては避けなければならない。

 そこで、先手を打って大政奉還に出たのだ。
 これによって「討幕」の大義名分を消滅させたのである。

 政権を返上した者を討つということが、論理的にできないことは説明するまでもない。
 大政奉還を行っても、所詮朝廷に政権運営能力はない。
 つまり、幕府に代わって六十余州を統治する能力はない。
 慶喜がそう読んだことは明らかである。

 形式、体制はどうあれ、大政奉還後も実権は依然として徳川が握ることになるという“政局判断”であり、事実この判断、読みは間違っていなかった。

 朝廷には、政権担当能力は勿論、その体制そのものが存在しなかったのである。
 事実、大政奉還から僅か一週間後、朝廷は、外交については引き続き幕府が担当することを指示している。

 列強との外交諸問題が緊迫していた時期である。
 朝廷も、それ以外に為す術(すべ)がなかったということだ。
 諸外国への新潟開港の延期通告事務は、結局幕臣官僚が行っている。
 冷静にこの時期の我が国の置かれていた政治外交環境を思い返してみると、よく分かるはずだ。

 世にいう黒船の来航は嘉永六(1853)年のことであった。
 徳川慶喜が大政奉還という挙に出る十四年前のことになる。
 京が長州人を主としたあぶれ者たちによるテロによって血塗られたピークは文久二(1862)~三(1863)年頃である。

 この十年間というもの、幕府は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、プロシア等を相手にして、次々と和親条約、通商条約の締結を迫られ、独立と国益を守るべく必死の外交交渉を続けてきたのである。

 討幕の意思を秘めた薩摩と長州の過激派は、そういう幕府の足を引っ張るだけでよかったのだ。
 国家が危急の際には、人材が現れる。よくしたものである。

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など