スティーブ・ジョブズが10月5日に他界した。その2日後、たまたま東京に出張していた筆者は曽我弘(そがひろむ)さんの携帯に電話した。「スティーブ・ジョブズが逝ってしまったよね」。

 曽我さんは「本当だよね」と力なく言った。ちょっと間をおいて、「今たまたま東京駅にいるけれど、安藤さん来れる?」筆者は「すぐに行く」と答えた。2人とも心の中にポカリと空いた空間を何かで満たしたかったのだ。

 曽我さんは、シリコンバレーで設立したベンチャー企業をアップルに売却した人である。ジョブズと一対一で買収交渉をした人である。1年ぐらい前にシリコンバレーから居を移して今は横浜に住んでいる。互いにシリコンバレーで親しくしていた仲である。曽我さんは、もう10年以上も前のジョブズとの買収交渉を、生々しく語ってくれた。

 曽我さんは30年あまり新日鉄の社員であった。91年から定年退職してシリコンバレーに渡り、新日鉄の子会社を設立し、その社長をしていた。だが、90年代に入って本社の合理化政策の一環として3年ほどで会社を閉めた。資産を他社に売却して日本に帰ったものの、シリコンバレーでの経験が忘れられず、再びシリコンバレーに戻ってきてDVD制作ソフトのベンチャーSpruce Technologies Inc.を設立した。

 社員が80人になったところで競合の米企業から「嫌がらせの訴訟」を起こされ、訴訟費用の負担に耐え切れず、売却を決意した。買収企業として名乗りを上げたのはアドビとマイクロソフトだった。両社との条件も固まり、このどちらかに決めようかと逡巡していたときに、アップルが忽然と名乗りを上げてきた。

 驚いたのは、アップルのスピードであった。コンタクトしてきた2日後にスティーブ・ジョブズを含む7-8人のチームとアップル本社で会うことになった。その中には技術者もいれば、社内弁護士もいた。その翌日、アップルの副社長から「明日、本件について意思決定できる人と、一対一で会いたいとスティーブ・ジョブズが言っている」との連絡があった。曽我さんは「私も1人で行きます」と回答した。

 翌日、スティーブ・ジョブズが本当に1人で現れた。アップルはアドビの動向はすでに掴んでいる様子であったが、マイクロソフトのオファーは知らなかったようだ。ジョブズは「どの会社だ」と激しく詰め寄った。買収交渉では、他にオファーを出してきている会社の企業名は言えない。その会社との秘密保持契約に違反するからだ。「会社の名前は言えないが、アップルの競合会社ですよ」と答えた。ジョブズは即座に、「アップルに競合会社はない」と言った。

 曽我さんはその発言に驚いたと言う。当時、パソコン用OSの世界ではマイクロソフトがシェアの9割以上を握っていた。アップルのシェアは1割にも満たなかった。それでも「アップルに競合会社はない」と言い切れるのか。