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3月10日午後1時30分、学校管理下で東日本大震災の津波によって児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の遺族が「救えるはずの子どもの命を守る義務を果たさなかった」などとして、宮城県と石巻市を相手に損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。
訴えを起こしたのは、いまだに行方不明のままの子どもも含め、大川小で津波の犠牲になった23人の児童の19家族(夫婦10、父親のみ9)の計29人。請求額は、児童1人あたり1億円、総額23億円に上る大型訴訟となる。
震災当日の過失責任のみならず
不誠実な事後対応も加味
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震災発生当時、大川小学校では子どもたちを校庭で待機させ続け、川沿いの堤防に向かって移動を始めたのは、地震が起きてから50分近くも経ってからだった。
その間、ラジオや子どもを引き取りに来た保護者が大津波警報を伝え、防災無線のサイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけている。しかし、学校側は、すぐ近くの裏山に登ったり、スクールバスを使ったりすることもなく、子どもたちを1メートルも上に避難させることができないまま、津波に巻き込まれた。
遺族たちは、訴状の「はじめに」の中で、こう訴える。
「児童は津波により死に至ったのではない。学校にいたから死ななければならなかった。
もし、先生がいなかったら、児童は死ぬことはなかった。本件は、明らかに人災である」
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訴えによると、そうした学校側の災害対応マニュアルの不備や、津波の避難訓練を行ったことがないなどの事前対策を怠った校長、教頭、A教務主任の安全配慮義務違反を指摘。
震災当日、校長、教頭、A教務主任、その他の現場にいた教諭が津波を予見し、被害を回避できたにもかかわらず、避難行為に出なかったという不作為(注意義務違反)によって児童の命が奪われたことから、石巻市は国家賠償法1条の責任を負うとしている。また、同校教職員の費用負担者である宮城県についても、損害の賠償をすべき責任があるとしている。
また、遺族たちが市教委から受けた震災後の不誠実な事後対応による精神的苦痛についても、遺族の強い意向により加味された。
この事後対応を巡っては、震災直後から、市教委や学校側が、遺族たちには理解できないような対応を取り続けた。
例えば、唯一、生き残ったA教諭はなぜ、逃げ込んだ整備工場に子どもたちの救済を求めなかったのか。なぜ当時の校長が被災した学校現場に来たのは、6日も経ってからだったのか。校長が市教委に「残っていた児童を校庭避難」「引き渡し中に津波」と語った報告書が1年以上も遺族に開示されず、「校長の側聞」とされたのか。そして、震災2ヵ月後の市教委による子どもたちからの聴き取りメモは一斉に廃棄され、地震発生後に「山に逃げよう」と訴えた子どもの証言がなかったことにされた。その後に開かれた第2回説明会も1時間で打ち切られたうえ、「説明会はこれが最後」と宣言されて、遺族たちが傷つけられた。
こうした事後対応を含む真相の解明を期待されたはずの第三者委員会の検証も“失敗”に終わり、遺族たちを大きく失望させた。