森ビルが全力を投じた「上海環球金融中心」が、いよいよ開業にこぎ着ける。天安門事件にもひるまず、中国ビジネスと向かい合ってきた森稔社長が、苦節14年の問題意識を打ち明ける。(聞き手:『週刊ダイヤモンド』副編集長 藤井一)

森稔社長
撮影:住友一俊

 「上海環球金融中心」は、起工式を3回やってるんですよ。14年間かかってますから、まあいろいろなことがありましたね。

着工当初は、天安門事件の余韻が残っていたから、会う人、会う人に「やめとけ」と忠告されたものです。でも、当時の日系企業はホテルやアパートの一室を借りて仕事をしてましたから、まともなオフィスを提供すれば需要はあると確信していました。「中国政府は信用できない」っていうんだけど、まさかビルを取り上げられるわけじゃないだろうしね(笑)。

 あのとき決断したから、中国政府も歓迎してくれたと思うんです。これだけ大きい開発案件は、普通は合弁でなければ認められません。それをお譲りいただいた。まあ、「独資(外資100%出資)でやらせてくれなければ要らない」っていっぺん帰ったら、すぐ認めるって言ってこられたんだけど(笑)。

 その頃は、まだ株式市場もないに等しかった。なーんにもない場所から国際金融センターをつくるっていうんだから、私は少なくとも20年はかかると考えていた。

 1995年から10年間の上海の変化は、その意味ではすさまじかったですねえ。ビルの上から見ていると、「自転車」ばかり走っていたのに、あっという間に「自動車」だらけになるんですから。

 上海のビルは、何度も設計変更してるんです。コンピュータの2000年問題対応でトレーディングフロアの床を高くしたら、ビルの高さも変わっちゃって、それで世界一を目指すことになった。

 9・11(米国同時多発テロ)の直後は「超高層ビルは危ない」と言われて、飛行機がぶつかっても壊れないように構造設計をやり直したり、小泉(純一郎・元首相)さんの靖国参拝で日中関係が微妙になった頃は、ビルのてっぺんの吹き抜けの形が「日の丸」に似ていると問題になって、丸を「四角」に変更したり(笑)。

 そのつど、政府に相談するんだけれど、彼らも新しい提案は喜んで聞いてくれるんですよね。法規制はあるんだけれど、提案すれば変えてくれるんだから、こっちもやり甲斐があるんです。

 10年で上海はこれだけ変わった。じゃあ、東京はあと10年でどれだけ変われるのかと。東京に国際金融センターを作るという構想がありますが、規制しておいて(外資が)来るわけないじゃないですか。(規制緩和なんて)やればできることばかり。(上海のように)とにかく自由にやらせてくれればいいのにね。

 そういえば、当初、このビルには国際協力銀行の融資も付いていたんですよ。ODAで中国経済発展を助けるためという名目だったんだけど、そのうちに助けるどころか助けてもらうことになりかねないんじゃないですか(笑)。