後悔のない30代を送るために必要なことは何か? 数々の企業で社長を歴任してきた桑野克己さんと、新刊『30代を後悔しない50のリスト』の著者・大塚寿さんが語る、チャンスと失敗との向き合い方。

インターネット業界に見出した可能性が
チャンスを運んできた

桑野:大塚さんの新刊『30代を後悔しない50のリスト』を拝読して、二つすごく胸に響いたところがありました。ひとつは「チャンスにすぐ対応すればよかった」というのと、二つ目は「失敗から真剣に学ぶべきだった」というのが、ああ、そうだなと思いましたね。

大塚:では、桑野さんがチャンスをつかまれるところから、まずお聞きしたいと思います。いままでを振り返って、これはチャンスだったというエピソードには、どのようなものがありますか?

30代を後悔しないための<br />「チャンス」と「失敗」の活かし方<br />桑野克己×大塚寿 対談【前編】くわの・かつき/ルビー・グループ代表取締役。米国コーネル大学 経営大学院卒(MBA)。大手広告代理店に勤務。1996年よりインターネット業界。AOLジャパンで執行役員。マッチ・ドットコム ジャパン社長。会員数100万人を達成し業界ナンバーワンに。高級ブランドのインターネット販売のギルト・グループ社長。会員数50万人、年間数十億円の売り上げに育てる。2011年1月に高級ブランドをEコマースで支援するルビーグループを創業。 http://rubygroupe.jp/

桑野:やはりビジネススクールを出て、1996年の時点でインターネット業界へ行ったのは、すごくラッキーだったなと思います。その前は広告代理店に勤務していたので、マスメディアの世界で、ワンウェイでどうやってコミュニケーションしていくかとか、どうやったら本当にマスに訴求できるかなどを考えていました。

 ですが、1994年から1996年って、アメリカでもインターネットが盛り上がってきて、ネットスケープが1994年、ヤフーが1995年にできてと、すごくおもしろい時代だったんです。インターネットって、ツーウェイのメディアですよね。マスメディアじゃなくて、フィードバックがあるので、これはおもしろいなと思いました。それで、インターネット業界へ行ったんです。

 いまはファッションとインターネットのあいだの仕事をしているんですけど、ファッション業界だと僕なんてまだぺいぺいで、大社長の方とかいっぱいいらっしゃいますが、インターネット業界は若い業界ですから、僕の年齢だともう大御所なんですよ。三木谷さんよりも早くインターネット業界に入ってますから。だから、若くして社長をやることもできたし、上がぜんぜんいなかったので、楽しかったなと思いますね。

大塚:実は僕も日本人としては早い時期にインターネットに触れていると思うんですよね。それが1994年なんですけど、伊藤穣一氏が代々木に事務所を持ってらして、マックゾーンという会社へ取材に行ったんですよ。そのときに「これがインターネットというもので、インディアナ大学の音楽室につないで、そこの音楽を聴いてみましょう」と言われて聴かされたんですけど。

30代を後悔しないための<br />「チャンス」と「失敗」の活かし方<br />桑野克己×大塚寿 対談【前編】おおつか・ひさし/1962年群馬県生まれ。株式会社リクルートを経て、現在、オーダーメイド型企業研修を展開するエマメイコーポレーション代表取締役。30代で起業、結婚、出産、育児、家の購入のすべてを経験し、人生の土台作りを行う。また、積極的に地域社会と関わり、仕事と家庭の両立も行うことで、40代で年収を10倍アップさせた。著書に『40代を後悔しない50のリスト』など多数。http://emamay.com/

 これは何だろうと、当時はさっぱりわからなかったですね。こんな時代が来るなんてぜんぜん思いませんでしたから、インターネットというものを全部他人事として僕は考えていたんです。でも、桑野さんはこれからインターネットの時代が来る、チャンスだととらえられたんですよね。そのとき、インターネットというものをどんな感じで受け止められたんでしょうか。

桑野:広告代理店のときに、いわゆるテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の4マス媒体の限界を感じていました。ワンウェイのコミュニケーションでも、いまでもやはりテレビは一番効率のいいメディアだと思うんですが、なんとなく限界も感じていて、そのときにインターネットと出会ったので、これまでの発想とはまったく違うなと思いました。

大塚:なるほど、4マス媒体はもう限界があると。インターネットは、その限界を打ち破る双方向メディアだという可能性を感じたんですね。インターネットを見て、きっと何かが起こるだろう、もしかしたらこれが世界を変えるかもしれないという予感はあったのでしょうか?

桑野:そうですね。それはすごく感じました。それで、思い切ってインターネット業界に入りました。