日本の経営学の発展に大きな貢献を果たしてきた伊丹敬之氏は、いま経営者の多くが「会計データ依存症」に陥っており、「現場想像力」の習得が必要であると訴える。この現場想像力とは、いかなる能力か。すなわち、会計データを一瞥して、いま現場では何が起こっているのか、現場の人たちはどんな問題を抱えているのかなど、現場の実態を想像できる経営リテラシーのことである。伊丹氏によれば、稲盛和夫氏に代表される名経営者と呼ばれるビジネス・リーダーたちは、財務リテラシーのみならず、この現場想像力にも長けているという。ただし、その習得は一筋縄ではいかない。会計データと現場の現実の突き合わせを何度も、いや何年も続けて、初めて会計データの裏側に隠された現場の実態が見えてくる。

経営層に広がりつつある
「会計データ依存症」

――いつの時代も経営者には課題が尽きません。しかも、グローバル競争力の強化、収益性と持続性を兼ね備えたビジネスモデルの設計と構築、コーポレート・ガバナンスの改革、プロフェッショナル人材の育成など、どれもこれも難問ばかりです。悩み多きビジネス・リーダーたちには、いかなる行動が必要でしょう。マネジメント研究の第一人者として、アドバイスをお願いします。

一流の経営者はデータの向こうに<br />現場が見える(上)伊丹敬之(Hiroyuki Itami)
1969年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、72年カーネギーメロン大学経営大学院博士課程修了(PhD)。77年より一橋大学商学部教授。同大学商学部長、スタンフォード大学客員准教授などを歴任後、2008年より現職。05年紫綬褒章受章。09年「宮中講書始の儀」の進講者を務める。主要な著作に『経営戦略の論理』(日本経済新聞社)、『人本主義企業』(筑摩書房)、『よき経営者の姿』(日本経済新聞出版社)、『本田宗一郎』(ミネルヴァ書房)等が、また共著書に『企業の経済学』(岩波書店)、『場のダイナミズムと企業』 (東洋経済新報社)等がある。

伊丹(以下略):日本企業の喫緊の課題とは何か。それは、組織のイノベーション能力を育成・強化することにほかなりません。これは時代の要請であり、いま挙げられた課題のいずれとも深く関係しています。

 イノベーションについて議論する時、それを生み出すための方法論、人的能力や組織要件が関心事になりますが、私はいま、「イノベーションに資する管理会計」を現場の技術者中心の社会人大学院で教えています。

 具体的には、イノベーション活動に不可避な3つの関門、すなわち、研究(R)と開発(D)の間に横たわる「魔の川」、開発から事業化の段階で現れる「死の谷」、そして市場競争によって選択か淘汰かの審判が下される「ダーウィンの海」を無事乗り越えるためのツールとして、管理会計の新しい活用法を模索しています。

 現場の技術者たちと議論してみると、日本企業のマネジメントの問題点の一つがあぶり出されてきました。それは「会計データ依存症」です。マネジメントの人たちが会計データに頼りすぎる、それがないと判断できない、不用意な使い方で現場を歪めるなど、そうした「依存しすぎ」の症状です。

 企業内部には、会計データのみならず、多種多様なデータが膨大に存在しています。ですが、ITのおかげで情報システムが飛躍的に進歩したため、必要なデータにたやすくアクセスできるようになりました。しかも、あまりに簡単に収集・加工・共有できるため、データがのさばり、人々を振り回しています。こうした状況は、規模の大きな企業ほど顕著です。