税には、2つの基本的な考え方がある。「応能税」と「応益税」である。「応能税」は、個人の負担能力に応じて課す租税で、累進課税である所得税が典型だ。国税の多くは「応能税」で、社会保障、防衛などの用途幅広い一般財源となる。一方、「応益税」は、さまざまな行政サービスの受益者が、その負担をする。受益と負担の関係が明確であり、地方税がこの考えに立つ。ゴミの回収費用は、住民が負担するのだ。
道路特定財源の一般財源化に、福田康夫首相は慎重である。道路族、地方自治体、自動車工業会は猛反対している。彼らの本音は横に置こう。その論理は、道路整備を目的とする税をその他の分野に使うのは筋違いだ、という一点にある。目的税なのだから当然、「応益税」だという主張である。
待って欲しい。そもそも5兆6000億円の道路特定財源のうち、揮発油税、自動車重量税など3兆円強は国税なのである。実は、その揮発油税は1953年に特定財源化される前は、一般財源だったことは知られていない。多くの人が誤解し、政府もあえて説明していないのだろうが、「揮発油税は道路整備のために創設された目的税」ではない。戦前から存在していた国税であり、目的税ですらない。道路が未整備だった当時、田中角栄らによって緊急の立法措置がなされ、特定財源化されただけなのである。以来、半世紀を経て、必須の道路建設は減り、財源は余剰となった。
本来の趣旨に戻って、「応能税」として捉えなおすべきときだろう。「応能税」の負担能力に応じて課税するという考え方は、有り体に言ってしまえば、取れる人、取りやすいところから取って、幅広く国民に役立てるということである。税の原理原則であり、たばこは60%が税金だが、喫煙者のために使えとは誰も言わない。揮発油税も同じであろう。
自動車工業会は、財源が余剰なら税率を下げるべきだ、と主張する。筋は通っている。一理ある。だが、現に、国民の大多数が自動車を利用し、揮発油税などを納税しているのだ。負担できる能力があるということだ。他方では、日本のあちこちに財源不足の穴が開いている。有効に利用できれば、国民の支持は得られる。
問題は用途である。道路特定財源を一般財源化して、無駄の多い道路予算を5000億円だけ削減し、喫緊の課題である基礎年金再構築のために国庫負担分を5000億円増すという政策を打ち出したら、どれほどの国民が反対するだろうか。