どこからが「いじめ」になるのか、法律上の定義とは?弁護士が中高で特別授業どのような行為が「いじめ」に当たるかは、法律によって定義されている(中学1年生の授業) 写真提供/ストップいじめ!ナビ

Bさんたちの何がいけないのか

 日本の学校で多いのは、先の事例のような仲間はずれ、無視、陰口といった、特定の人を集団から排除しようとする“コミュニケーション操作系”の「いじめ」です。SNSの普及もあって、最近では早い段階で大人がいじめの存在に気付くことが、よりいっそう難しくなっています。

 子ども同士のコミュニケーションの延長で行われるこうした「いじめ」は、「仲間はずれにする方も、される方も悪い」というけんか両成敗的な、曖昧な結論で片付けられがちです。事実、先の事例においても、大人から、「これは『いじめ』かもしれないが、結局どちらも悪い」「どちらにも謝らせることで解決できる問題」といった声がたくさん上がります。

 しかし、安易にこう結論付けてしまうと、「なぜ『いじめ』がいけないのか」「加害者側のどこがいけなかったのか」という本質的な問題が曖昧になってしまいます。そのため、同様のことが繰り返し起こる可能性が高まりますし、「いじめ」を重大化させる恐れもあります。

 中高の6年間を落ち着いた環境で過ごしたいと思うのは、生徒や保護者のみなさんにとって切実な願いだと思います。しかし、程度の差こそあれ、「いじめ」は集団生活の中でどうしても起こってしまうものです。ですから、その芽をなるべく早い段階で発見し、重大化しないよう対策を講じることがとても大切なのです。そのためには、日頃から本質的な問題と向き合っていく必要があります。

 もう少し具体的に事例の内容を見ていきましょう。前述のとおり、Bさんらの行為は、いじめ防止法の定義による「いじめ」に該当します。

 ここで最も大切なのは、Bさんらが「手段の選択」を誤ったということです。Bさんらが“いじめっ子”であるとか、Bさんらの人格に問題があるとか、DVDの傷くらいで怒るのはおかしいとか、そういった点に着目するつもりは毛頭ありません。

 Bさんらは、数ある問題解決手段の中から、「仲間はずれ」という手段を選択しました。その「選択」こそが問題なのです。Bさんらはその選択の過ちを反省し、他にどのような手段を選択できたのかを学んでいく必要があります。ここを曖昧にした途端、子どもたちが「手段の選択」を学ぶ機会は失われてしまうのです。