――「仁義なき戦い」シリーズで、役者として大きく飛躍した松方弘樹は、その勢いを維持したままで、77年には「北陸代理戦争」に主演します。若い世代は、この曰くつきの作品についてよく知らないと思います。そこで、『映画の奈落 北陸代理戦争事件』を書いた伊藤さんから、簡単なアウトラインの解説をお願いします。

16年に出た「完結編」(講談社+α文庫)は、単行本の出版後に判明した新事実を基に加筆・修正し、川内弘組長のボディガードを務めたヒットマンの証言などを追加した 写真:講談社

 はい。実録映画「北陸代理戦争」は、“北陸の帝王”と呼ばれた川内組の川内弘初代組長がモデルです。下敷きになっているのは、大きな組織(山口組+2次団体の菅谷組)に挑戦する、小さな組織(川内組、山口組の3次団体)の攻防です。

 当初は、大ヒットした「仁義なき戦い」に続く、「新・仁義なき戦い」シリーズの最終作として企画されていて、菅原文太が主演するはずでした。しかし、彼が降板したことによって、「仁義なき戦い」という冠が外された上で、松方弘樹に出番が回ってきました。この作品は、実際に福井県で進行中だった抗争を取り上げているばかりか、映画の公開後に、モデルになった組長が映画に出てくるのと同じ喫茶店で射殺されてしまうというスキャンダルに見舞われました。結果的に、フィクションである映画が、進行中の抗争に影響を与えてしまったのです。日本映画史上、前代未聞の出来事でした。

 ようやく、満を持して実録映画で主役を演じられた松方弘樹でしたが、興業的には惨敗の結果となり、「北陸代理戦争」以降は実録映画そのものが終息に向かうことになってしまいます。正しく、松方弘樹は最終列車に乗ることはできたのですが、乗ったとたんに列車のスピードが落ちてしまうのです。同じ77年には、日本の政財界の闇を描いたことで今日でも評価が高い「日本の首領 野望篇」が公開されます。この作品は実録映画なのですが、一般の観客を意識したファミリー・ドラマの要素が加わっています。松方弘樹は、東京大学卒業のインテリやくざを演じています。70年代には、ペテン(頭)が切れるハクイ(いかした)やくざを演じさせたら、松方弘樹の右に出る者はいませんでした。かつての総会屋を描いた「暴力金脈」(75年)なども名作ですね。

70歳を過ぎた松方弘樹は
“角栄”の独り芝居を計画

――今日では、任侠映画や実録映画は“ある時代に流行った特殊な映画のジャンル”として認識されていると思います。しかしながら、教科書には出てこない“近代日本史の闇”をフィクションという形式で描いている側面もあります。伊藤さんは、この分野を知らない若い人たちに観てもらうには、どうしたらよいと思いますか。