「相手の尊厳を傷つけない」は「相手のため」だけ?
Aくんのオウンゴールにより、決勝戦で負けてしまったサッカー部員たちがAくんに何らかの不満を抱いてしまうのは仕方のないことです。問題は、その不満の解消方法であり、それが個人の尊厳を傷つけるような手段であってはならないことは前述の通りです。
ここで改めて考えたいのは、部員たちが「Aくんの尊厳を傷つけない手段」を選択するメリットは、「Aくんの尊厳を守ること」だけなのか、ということです。
いじめや脅迫を受けたAくんの“失敗”が事の発端になった今回のケースのように、被害者側に何らかの“(加害者側から見た)落ち度”がある場合、加害者側から「自分たちばかり我慢しなければならないのは不公平だ!」という反論が出ることがあります。この考え方は、部員たちが「Aくんのため」だけに自分たちの行動を抑制しなければならないことを前提としています。
しかし、相手の失敗を理由に相手の尊厳を傷つけることが許される環境は、自分が失敗したときにも自分の尊厳を傷つけられる環境でもあります。逆に、相手の失敗を理由に相手の尊厳を傷つけることを許さない環境は、自分が失敗したときにも自分の尊厳を傷つけられない、傷つけることが許されない環境でもあるのです。
つまり、「相手の権利」と「自分の権利」はつながっており、相手の尊厳が守られる環境を整えることは、自分の尊厳が守られる環境を整えることにもなる、というわけです。
したがって、たとえ「Aくんの失敗を心から許す」ことが難しいとしても、部員たちが「Aくんの尊厳を傷つけない」という一線を着実に守っていくことは、自分のたちの尊厳を守り続けるためにも非常に重要です。
人は集団になると、集団心理も相まって行為をどんどんエスカレートさせてしまいます。最初は些細な行為であっても、「アイツが悪いのだから、このくらいの仕打ちを受けて当然」という気持ちと共に、どんどん過激になりがちです。
場合によっては今回のケースのように、犯罪に該当するほどの人権侵害に至ってしまうこともあります。「このくらいは許容範囲内」などと、勝手な判断で相手の尊厳を傷つける行為へ一歩を踏み出してしまうのはとても危険なことです。
キャプテンであるCくんの「チームメイトの失敗を許さない。そんなチームで本当にいいの?」という問い掛けは、部員たちには「Aくんをかばうため」の言葉に聞こえるかもしれませんが、実は、部員たち自身を守るため、個人が尊重されるチームづくりのためにも非常に重要な問い掛けなのです。