アカデミックな教員が支える授業
――男子校ですが、家庭科で調理はやりますか。
原口 高校生は学期ごとに和洋中を作りますし、中学生は献立から考えてお弁当を班で作っていました。コロナ禍で調理実習ができなかった学年では、学生食堂で提供できるメニューを1人1人が考えて、価格設定も含めてプレゼンしました。食堂の方も交えて選考し、グランプリ受賞作は1週間実際に提供されました。
――自分たちで作るなら、おいしい物をと思いますでしょうね。
原口 肉肉しい感じでした(笑)。
――やはり(笑)。どうしてもそうなりますね。楽しい学園生活ですが、学業の面ではいかがでしょう。
原口 最終的な目標としては「自律的な学習者」です。自分で工夫しながら学びをつくっていってほしいと願っています。中学生のうちはなかなか難しいですが。
先日、森上教育研究所の企画で国語の入試問題について、本校の教員が保護者の方に紹介する機会がありました。どのように入試の題材となる本を選ぶのか、それが実際の授業にどのようにつながっていくのかという話が上手で、アカデミックに授業を行っていることが分かって面白かったですし、保護者にも受けていました。
――入試の題材になる本がとても興味深く、読んでみたいと思わされましたね。他の先生の授業を聞く機会も少ないでしょうから、先生方にも興味深かったかと思います。
原口 それぞれの専門家のような教員も多いと思います。地学の教員は天文に関心が強く、担任を外れたタイミングで東京学芸大の大学院や三鷹にある国立天文台で最新の事情を学んでいました。リモート望遠鏡など、その成果を授業や部活動でも還元しています。
――昔聞いた話では、東京教育大(現・筑波大)の先生は桐朋に来ると言われていました。
原口 そうですね。戦後、学園の男子部門が桐朋中学・高校として再出発したときの初代校長である務台理作先生が東京文理科大(現・筑波大)の学長も経験されたこともあり、付属校ではないのですが、東京文理科大、東京教育大からいろいろな先生方が本校に赴任されてきました。
――「桐」が校名にも校章にも付いていますから。一文字もらうにはそれなりのことがあったのでしょうね。
原口 一緒になって戦後の教育をつくっていく「桐の仲間」ということから桐朋となりました。
――そういう意味では、務台先生がいまの校風をつくったのでしょうね。
原口 教員も自己研鑽に励み、自分が責任を持って伝えられることを基に教育するというのが、務台先生の教えでした。新しい校舎全体が完成したのは2016年ですが、例えば理科の実験室にしても、教員が設計段階から関与して造っています。プラネタリウムや美術科の陶芸の窯もあります。
――設備がいろいろと充実していますね。
原口 この校舎が建つまでは、都内有数の汚い学校でしたから(笑)。
――男子校ですからねえ(笑)。