毎週水曜の夜、東京FMの「タイムライン」に生出演している。

 きょう(11月17日)の放送では「デモ」について取り上げた。先週末、横浜で開かれたAPEC、その会場周辺で行われたデモを受けての特集である。

 番組ではデモ参加者の声も拾っている。そこで驚いたのは、デモに対する日本人の消極的な態度である。

「趣旨には賛同できるけど、お巡りさんを見ると怖い。法律的には問題ないけど威圧感がある」

 管理統制社会・日本に住んでいればこうした感覚に陥るのも仕方あるまい。情報の鎖国状態から脱却するのはまだ相当先の話なのだろう。本来、積極的なデモ参加者ですらこうである。そうでない多くの日本人の考え方は言うに及ばずだ。

 日本国憲法21条では、集会、結社、表現の自由が保障されている。もちろんデモも国民の権利として保障され、単に警察へ申請すれば何人であろうと行うことは可能だ。

 だが、先の参加者の声にもあるように、日本社会全体がそうした当然の権利行使に対して理解があるとは言いがたい。デモ参加者は奇異な目で見られ、お上に逆らう、不埒な人物というレッテルを貼られがちだ。

なぜ日本では国内のデモが
大きく報じられないのか?

 世界の民主主義の国ではデモは普通に行われている。番組に出演した作家の雨宮処凛氏もこう語っている。

「ベルリンでは一日平均8つのデモがあると言われている。フランスでは100万人規模のデモが起こることもある。その背景には自分たちの権利を徹底的に教えられる教育システムがある」

 日本では逆だ。むしろ個人の権利を主張することは「社会の敵」というレッテルを貼られることを意味する。

 国内で起きた4000人規模の「反中デモ」、APEC反対を掲げた横浜でのデモも大きく報じられることはなかった。それはお行儀のよい記者クラブ制度に起因する。