「幸せ食堂」繁盛記
【第三十五回】 2016年9月29日 野地秩嘉

庶民の味、コロッケの真骨頂はじゃがいもとラードの出会いにあり。
「幸せ食堂」繁盛記・外伝その1

ロンドンの市場、バラ・マーケットの「バブル」とは

 ロンドン市内にバラ・マーケットという築地市場みたいなところがある。地下鉄ロンドンブリッジ駅の至近にあるマーケットだ。営業日は木曜、金曜、土曜の週に3日だけ。100を超える食品の卸売や小売店が軒を連ねている。生鮮食品、チーズ、ソーセージから果物、スイーツまでと扱っている品目は幅広い。飲食の屋台も出ているから、そこで朝食を食べることができる。ロンドンに行った時、時々、朝ごはんを食べに行くのが場内の一角にある「マリア・マーケット・カフェ」。マリアさんという体格のいい女性がオーナーで、そこのイングリッシュ・ブレックファストは「これでもか。お前はこれが全部食えるのか」というボリュームである。

 ベーコン、ソーセージ、焼きトマト、目玉焼きと付け合わせの「バブル」にトーストが付く。問題は「バブル」だ。金を持っていないロンドンの庶民が愛したおかずで、ホテルの朝食レストランでは絶対に出てこない食べ物である。

 マリアさんは言う。

「バブルはプア・ピープルの朝ごはん。ベーコンやソーセージを買えない人がポテトとキャベツをラードで炒めたものなの」

 ラードで炒めたら「肉を食べた気分」になる。それでプアな庶民は朝からせっせとじゃがいもとキャベツをラードで炒めて食べた。じゃがいもとラードは労働者階級にとってはごく身近な食品なのである。

 もうひとつ、じゃがいもとラードで思い出すのはロサンゼルスのラ・シェネガ通りにあった「ファットバーガー」という店のフレンチフライだ。ウェブで検索すると、いまもファットバーガーというチェーンはある。しかし、私がかつて行ったことのあるその店ではハンバーガーのバンズにヘットとラードが混ざり合った脂肪をばしゃばしゃかけながら調理していた。食べようとすると、手が脂(ファット)でべとべとになる。フレンチフライも油切れが悪く、脂肪と混然一体だった。

 マリアカフェのバブル、そして、ファットバーガーのフレンチフライ。どちらも味は町の肉屋が揚げているじゃがいもコロッケそのものと言っていい。ロンドンやロサンゼルスへ行かなくとも、わたしたちはバブルとフレンチフライの味を思い浮かべることができる。じゃがいもとラードの出会いこそが庶民の味だ。

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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