「幸せ食堂」繁盛記
【第三十二回】 2016年7月26日 野地秩嘉

お肉屋さんのお弁当、侮れず! 
あなたは、学芸大学駅近くの精肉店の
オール自家製500円弁当を食べたか!?

コンビニがなかった時代の風景

 学芸大学駅を降りてから3分ほど歩いた路地にあるのが栄屋肉店。町のお肉屋さんである。全従業員数は2名。山中勝、ミツ夫妻。ふたりとも今年、80歳になる。

 近所のお得意さんは「山中さん」ではなく、お父さん、お母さんと呼ぶ。

 取材に慣れていないお父さんは威儀を正して語る。

「栃木県の中学を出て、大森の肉屋で10年間、修業しました。その後、学芸大学で独立。店を開いたのは東京オリンピックの前の年です。昭和38年。それから50年以上、働いてます」

 朝は7時から店を開けている。夜は8時まで。休みは日曜日だけ。

 まだコンビニがなかった頃のこと、「子どもの弁当のおかずを買い忘れた」母親は朝、栄屋肉店へ走った。起きてきたお父さんに事情を話すと、ウインナーやハムを売ってくれたり、コロッケを揚げてくれたり……。完全地域密着の店だ。

「牛、豚、鶏、加工品となんでも売ってます。おそうざい、弁当は自家製です。冷凍のコロッケを仕入れて売るよりも、一から自分で作ったほうが儲けが多いから」

 昨今、町の精肉店、鮮魚店、青果店は激減している。理由は後継ぎがいないこと。山中のお父さんのように中学を出て、一軒を構え、一生懸命働いた夫妻の子どもはたいてい、大学に行ってビジネスマンになる。肉の仕入れ、肉をさばくこと、コロッケやメンチを揚げる修業をしていないから、跡を継ぐことは不可能なのだ。こうして、精肉、鮮魚、青果の個人店舗は町から消えていく。栄屋肉店もこのままいくと閉店になってしまう。

「昔は学芸大学だけで15軒くらい肉屋さんがあったんですよ。この間、一軒やめたから、あとはうちともう一軒だけになりました。時代に負けたということでしょう」

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

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