17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会います。
ちょっと失礼なニーチェに最初は憤慨していたアリサでしたが、ニーチェの言葉に思わずメモをとり始めるのでした。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第5回めです。
ルサンチマン的な視点って何?
「えーとちょっと待って、ルサンチマン的な視点って何?」
「ルサンチマンは、強者に対して妬みを持つ弱者だ。お金がない者でも、モテない者でもなんでもいい。
T.M.Revolution の歌でもあるだろう?“チカラもナイ、お金もナイ、ナイナイばっかでキリがない”と。力やお金がなくて、斜に構えた感じのやつをイメージすればいい。
ルサンチマンは「お金ばかり追い求めるのはよくない」と自分に言い聞かせながらも、本心ではお金を欲している。“別に出世できなくても、ある程度楽に仕事できればいいや”と言いながらも、上司から認められることが、本当は嬉しかったりする。
しかし、苛酷な現実に押しつぶされないために、傷つかないために、自分に“これでよい、お金が手に入らなくても、出世できなくても、これでいいんだ”と言い聞かせているのだ。
“これがいい!”ではなく“これでいいんだ”と自分に言い聞かせているようなものだな。いわば、禁欲的な生き方でもあるな」
「つまり、達観している感じの人?さとり世代的な?」
「達観しているというよりも、欲がありながらも、無欲であることの方が“よい”として我慢しながら、生きている人をイメージするといいだろう。
“お金や成功を追い求める気持ち”は汚れている、よくないと、思いこんで自分の欲望を押し殺し、“お金や成功が手に入らなくても頑張っている自分”に満足しようとする。一般的によいとされていることが当たり前だと思いこみ、疑問を持たずに、大衆に流される。
“お金や成功を追い求めること、強いこと、利己的なこと”が悪いとされ、“お金に執着しないこと、弱いこと、自己中ではないこと”をよいこととするのがルサンチマン的発想だ」