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ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

社長退任と引き替えに手に入れた
製造工場

北 康利 [作家]
【第28回】 2016年10月19日
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木原工場との合併

 順風満帆のようだが、それでも幸一の心から不安は消えなかった。

 木原にはブラジャーだけでなくコルセットも製造してもらいたい。要するに和江商事の主力商品のすべてだ。

 だが、それがどんどん売れていくのをみたら、いつか木原は、

 (よっしゃ、自分で売ったろ!)

 と、直接販売に乗り出すかもしれない。そうなると和江商事はお手上げだ。

 経営者の最大の仕事は危機管理である。起こった危機に対処することだけが危機管理ではない。むしろ危機が起きる前にそれを予見し、危機の発生を未然に防ぐのが一流の経営者だ。

 幸一はその資質を持っていた。そして製造から販売まで一貫した組織を持つことが、危機管理上、最も有効な対処方法だという確信を持つに至るのである。

 それはワコールの未来を決めた大きな決断だった。

 この当時、製造と販売の間に問屋までもが介在する複雑な流通経路がわが国の伝統であった。ところが幸一は近江商人の血を大切にしながらも、従来にない独創的な発想でビジネスを展開していったのだ。

 女性の下着の製造から販売までを手掛ける、日本にはまだどこにもない下着専用メーカーの道を選んだことこそ、ワコールが業界ナンバーワンになった秘密だった。

 考えに考えた末、木原工場との合併を持ちかけた幸一だったが、そう簡単に事は進まなかった。

 「合併するのは異存ありまへんが、昔から嫁ぐにはタンス長持ちをそろえてからと言います。和江さんとはまだ1年のつきあい。まだ柳行季一つしかそろえられてまへん。せめて、もう2、3年待っとくなはれ」

 木原はそう言って婉曲に断ってきたのだ。

 そんなに待っていたら、木原工場を他社に取られてしまう可能性もある。幸一は引かなかった。

 「柳行季一つで結構です!」

 話し合いは平行線のままであった。

 考えに考えた末、幸一はここで思いきった提案をする。

 「木原さん、あんたが新会社の社長になってください。僕は専務でいい」

 これには木原も驚いた。

 「本気かいな?」

 「こんなこと冗談で言いません」

 これを聞いてさすがに木原も腹を決め、ようやく合併を承諾してくれた。

 さすがに、こんなに大事なことを独断で進めるわけにはいかない。社員は、社長が幸一だからついてきたのだ。そこで最終決断は役員たちに任せることにした。

 中村伊一、川口郁雄、征木平吾と、この年の3月に入社した奥忠三の4人に諮ったところ、賛成と反対が2対2の同数となった。

 「おまえらの気持ちはわかった。それでは最後に俺が票を入れる。俺は賛成や」

 これで社長交代が決まった。

 ここに和江商事は木原工場と合併。新生和江商事へと生まれ変わるのである。昭和26年(1951年)5月1日のことであった。

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北 康利 [作家]

きた・やすとし/昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。“100年経営の会”顧問。松下政経塾講師。著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂ポピュリズムに背を向けて』(以上、講談社)、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『西郷隆盛命もいらず、名もいらず』(WAC)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)などがある。最新刊は『佐治敬三と開高健最強のふたり』(講談社)。


ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一

ブラジャー。この華やかな商品に一生を捧げた男がいた。戦後京都を代表するベンチャー企業「ワコール」を創業した塚本幸一である。インパール作戦の生き残りという壮絶な戦争体験を持つ彼は、いかにして女性用下着に出会い、その未開市場を開拓していったのか。ベンチャースピリット溢れるその豪快華麗な生涯を、いま最も注目される評伝作家・北康利が描きだす!

「ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一」

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