ピンポーン

 誰だろう、宅配便か何かが来たようだ。このあいだ注文したコンタクトだろうか。でもまだ眠いし、部屋にいないことにしよう。あとで不在通知票見て連絡すればいいや。私はそう思い、居留守を決め、再び眠りにつこうとした。すると再びチャイム音が鳴った。

 ピンポン!ピンポン!ピンポン!ピンポン!

 まるで、こちらの気持ちを見透かすように、チャイムは連打された。その連打の速さは高橋名人のスイカ割りを彷彿させるような超速スピードである!チャイム音は容赦なく部屋中に鳴り響く。

「はい!いま出ます!いま出るんでチャイム止めてください!」

 私は大声でドアの向こう側に話しかけた。声は届いたようでチャイム音は十六回目で鳴りやんだ。ドアのスコープを覗くとそこにはニーチェが立っていた。

「アリサ、来ちゃった」

「ちょっとまたいきなり。“来ちゃった”って元カノかよ……どうしたの?ていうか、どうしてここがわかったの?」

「私を誰だと思っているんだ。お前の位置情報はお見通しだ。お前のバイト先の女将さんに住所を聞いたのだ」

 ニーチェは人差し指でこめかみをトントンと叩くとそう言った。

「何それ、個人情報ガバガバじゃん!」

「まあ、安心しろ。悪用はしない。なかなか気前のいい女将さんだな。“アリサちゃんをよろしくね~”って抹茶までごちそうになったぞ」

 ニーチェはくたびれた革靴のまま部屋に上がりこもうとした。

「いや、靴はここで脱いで!ここ玄関。で、このスリッパを履いて」

 私は下駄箱からスリッパを取り出し、ニーチェの足元に置いた。ニーチェは「そういう仕来たりか……」と呟いて、くたびれた革靴を脱ぎ、部屋に上がり、隅にあるソファに腰掛けた。

「まあアリサ、客人が来たからといって気を使わなくてもいい。そうだな。ではマシュマロをたっぷり浮かべたココアか、抹茶をいただけるかな?」

 私は起き抜けのスウェット姿のまま、とりあえずメガネだけ掛け、ニーチェの向かいの床に座った。

「いや、さすがにマシュマロ入りココアも抹茶も常備してないわ。お茶でいいかな」

「そうか、では次回からは常備しておいてくれ。私はココアが好物だが、抹茶もなかなか気に入った。あれはいい飲み物だ。ほんのりした苦味もあり、それでいて後味もくどくない、甘さもある。ああ、また早く抹茶にお目にかかりたい」

「わかった、また用意しておくから。ていうか女将さん勘弁してよ……絶対彼氏だと勘違いされてるわ、はぁ」

「ああ、安心しろ。私はツンデレ妹キャラ萌えなのでお前とどうこうなるつもりはない」

 ふんぞり返った姿勢で座りながら、ニーチェはどや顔でうんうん、と頷いた。

「いや、こっちにも選ぶ権利はあるでしょ」

「まぁ、そう気を落とすな。男は星の数ほどいるからな。ハァ。それにしても、この部屋狭いな……」

 ニーチェはソファに腰掛けた状態で、ワンルームの部屋をくるりと見渡した。白い壁と、白いフローリング。わずか八畳のこの部屋はたしかに狭いが、南向きのベランダと大きな窓があるので、広さのわりに開放感がある方だろう。

 部屋には、青い布団カバーが掛かったシングルベッドと、通販で買った、小さな茶色いソファと、真っ白の低いテーブル。家電がいくつかあるだけで、女子にしては殺風景な部屋なのかもしれない。

「一人暮らしだからこんなもんだよ。暇っていうけどニーチェはいつもどこに住んでるの?」

 私は、まだ起き抜けのけだるい体を起こし、冷蔵庫からほうじ茶のペットボトルを出し、グラスに注いでソファの前にあるテーブルに置いた。

「私はシェアハウスに住んでいる。昔も友人と三人で同居していたしな」

 ニーチェはそう言うとお茶を手にとった。私は、ニーチェの向かいに座ったのだが、ニーチェのひと言に、お茶を噴きそうになった。

「えっシェアハウス?それってやたらお洒落な男女が恋仲に発展するテラスハウス的なとこ?」

「いや、男子ばかりだ。知らないか?いま町家を改築したシェアハウスが流行っているのだぞ。男子ばかりといっても私は別に女慣れしていないわけではない。ずっと聖なる女性たちと住んでいたからな」

「うーん、ニーチェの言っていることはよくわかんないけど……」

 そう口に出した時に、私はハッとした。

 そういえば私はニーチェのことをまだあまり知らない。

 ニーチェがどういう考えを持っているのかは、少しわかってきた気がするが、それ以外はインターネットで検索して出てくるようなこと以外、何も知らないということにいまになって気づいたのだ。

(つづく)

【『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』試読版 第13回】えっ、ニーチェってシェアハウスに住んでるの?

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある