日産自動車が回復し始めている。他社と異なり、好調な中国事業が営業利益に直接影響することも幸いしているが、それは1度目のV字回復の途中で決断した積極投資が生み出した結果だった。

 日産自動車は10年間で2度のV字回復を経験している。

 1度目は、1999年から2006年まで。会社の存続すら危ぶまれた日産が、ルノーの出資とカルロス・ゴーン社長を迎え、営業利益を急拡大させた時期だ。

 2度目は08年のリーマンショック後。売上高の急減と自動車事業の実質有利子負債の増加を経て、11年3月期の上半期(10年4~9月)で、それらが解消したときまでだ。

 じつは、2度目のV字回復の種は、1度目のV字回復期に仕込まれた投資にあった。

 日産は、90年代に入ると主力車種がまったく売れず財務体質は悪化、2兆円の有利子負債を抱えるまでに至った。99年にルノーが出資。傘下に入り、ゴーン社長が就任すると、矢継ぎ早に改革を進めていった。

 01年3月期に約2900億円だった営業利益は、06年には約8700億円にまで拡大(図(1))。

 当時、ゴーン社長はコストカッターとして名を馳せた。工場の閉鎖や資産の売却、早期退職の実施、部品メーカーとの関係の見直しなど、確かに、多くのコスト削減策を実施し、営業利益を積み上げた。