「シャロー・ワーク」に足をとられる私たち

シャロー・ワーク:あまり知的思考を必要としない、補助的な仕事で、注意散漫な状態でなされることが多い。こうした作業はあまり新しい価値を生み出さず、誰にでも容易に再現することができる。

 つまり、このネットワーク時代、知的労働者はディープ・ワークをどんどんシャロー・ワークに変えている――たえずメールをやりとりし、ふいに邪魔が入ってたびたび仕事を中断されている。新しいビジネス戦略を立てるとか重要な起案書を書くといった、深い考察によってうまくいく、より大きな取り組みも、ばらばらに寸断されて質が低下する。

 いっそう悪いことに、このシャロー・ワークへの転換は簡単に逆転させることができない。シャロー・ワークに没頭して多くの時間を費やせば、ディープ・ワークをおこなう能力は“永遠に”低減しつづける。「ネットのせいで私の集中力と思考力は削り取られている」と、『ネット・バカ』の著者、ニコラス・カーは言う。本書はピュリッツァー賞の最終候補になった著作だが、これを書くために、当然ながら、カーは別荘に引きこもり、周囲との連絡を絶たねばならなかった。

 ネットワーク・ツールが私たちの仕事をディープ・ワークからシャロー・ワークへと向かわせているという考えは、こと新しいものではない。『ネット・バカ』は最近の書物の中で初めて、インターネットが私たちの頭脳と業務習慣に及ぼす影響を考察したものである。

 この本にこれ以上時間を費やすことはしない。ただ、ネットワーク・ツールがディープ・ワークにマイナスの影響を与えていることは確かだ。また、この変化による社会的影響について、踏み込んだ議論も避けたい。テクノ懐疑派は社会を害していると言い、テクノ楽観主義派は私たちの暮らしをよりよくしていると言う。例えば、グーグルは記憶力を減退させているかもしれないが、一方でもはや高い記憶力は「必要」ない。知りたいことは何でも検索することができる。

 私の立場はどちらでもない。私の関心はもっとずっと実際的で個別的な利益というテーマにある。私たちの労働文化がシャロー・ワークに移ったことで、あらわになってきたことがある。この傾向に抵抗し、ディープ・ワークを優先することの潜在力に気づいている少数者にとっては、大きな経済的、個人的なチャンスだということだ。