マツダはなぜ「地域に根ざしたものづくり」にこだわるのかPhoto by Akinori Shimono

広島に生まれたマツダの挑戦の歴史

 広島県府中町のマツダ本社に併設されている「マツダミュージアム」では、「Mazda Heritage~広島に育まれた、今に続くマツダの挑戦の歴史」というムービーを流している。

 このムービーで伝えているのは、マツダが生まれた広島の風土、創業者の思いと戦後復興時での働き、今日に至るまでのチャレンジ精神の源とその歴史などである。いわば、マツダが受け継いでいくべき“遺産(ヘリテージ)”であり、“志”だ。

 広島県は、1885年のハワイへの第1回官約移民から始まり、戦前戦後を通じて10万人以上もの海外移住者を輩出した日本一の移民県だった(JICA横浜海外移住資料館調べ)。彼ら先人たちは、見知らぬ土地でゼロから新たな挑戦に取り組んだ。それが今のマツダのチャレンジ精神の原点であり、「工業で世界に貢献する」という思いにつながっている。

 また、近代まで日本の鉄の半分以上が広島県をはじめとする中国地方の“たたら製鉄”という技術で作られていた。そういう土地柄だったからこそ、広島にヤスリや針などの手工業が生まれ、それらが造船業、自動車産業などのものづくりの集積地をかたちづくる礎となった。

 そして1945年8月6日。広島に原爆が投下されたその日は、奇しくもマツダの創業者・松田重次郎の70歳の誕生日だった。原爆によってマツダの前身である東洋工業も多大な被害を受け、多くの従業員やその家族を失うことになった。しかし、その4カ月後、東洋工業は当時の主力製品である「三輪トラック」の生産を再開し、焼け野原となった広島市の復興に一役買った。

 ムービーでは、そんなマツダの歴史、広島という土地との関わり、ものづくりのDNAがどこから来たのかを紹介している。YouTubeでも公開しているので、ご興味があったら是非見ていただきたい(https://www.youtube.com/watch?v=Rh67aKRcgcs)。マツダが常に抱いている、地元である広島に育てられたという思いの強さ、地域に根ざし、地域に貢献するということへの強いこだわりを理解していただけると思う。

 このムービーは2013年7月に、社内及び、海外のディーラーのトップの皆さんに向けて作ったものだった。マツダという会社を理解してもらうには、商品だけをただただ紹介するだけでは深みが足りない。そのメーカーの伝統とは何なのか、どういう歴史を持ち、いかなる性格の会社なのかを、社員や販売店の皆さんの理解を通じてお客さまにも投資家の皆さんにも知ってもらいたい。それによって、われわれのものづくりに対する信頼が育まれると考えて制作したのである。