超保険の開発チームのリーダーを務めた永野毅・東京海上ホールディングス取締役社長グループCEO(左)と、チームの一員だった桑原茂雄・東京海上日動火災保険ビジネスプロセス改革部長 Photo by Toshiaki Usami

 それは、保険業界に対する一つの“挑戦”だった──。時計の針を巻き戻すこと約15年、2002年6月、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)に、システム開発費100億円を投じた生損一体型の保険、「超保険」が誕生した。

 保険業界では、生命保険と損害保険には明確な違いがある。だが、一般の消費者からすれば、両者共に保険であることに違いはない。また、メーカーである保険会社主導で開発される保険商品は、消費者にとってとかく分かりづらい。

 加えて、当時は1996年の日米保険協議を経て保険の自由化の波が押し寄せ、従来型の保険販売では今後、立ち行かなくなるという強烈な危機感があった。

 そこで、社長(当時)の樋口公啓は「これ一つあったら安心という商品はできないか?」という命題を出した。それを引き受けたのが、現在、CEOとして東京海上グループを率いる永野毅だ。

 保険は生保・損保を問わず、商品種目別に販売するのが常。となれば、補償(保障)の重複や漏れが生じてしまう。これを180度転換し、「保険会社が売りたい商品を売るのではなく、お客さまが本当に求めるリスクを無駄なく、漏れなくカバーする生損一体型の保険を作り上げようと考えたのです」と、永野は言う。