資産運用の仕事は、もともと上司と部下での分業になじまない種類の仕事だろう。一つの運用資金に対して、複数の価値判断を取り込むことは不可能ではないが、合理的な実行プロセスをつくることは簡単ではないし、現実のビジネスとして考えると、商品の性格をアピールしにくい。

 もちろん、1人の運用者が仕事をこなすためにスタッフを使うことはあるが、投資の判断者と判断に当たっての思想を明確にして、部下は上司の手足、最大限に働いて目や耳の代わりを務めるのが通例だ。外国によくある、個人が創業して発展してきたような運用会社の場合、会社の意思が一つであることが、対外的にも強調されることが多い。この場合、初めに運用があって、後から組織がある。

 これに対して日本の運用会社は、そもそも証券会社や銀行のような金融機関が親会社で、初めに上司と部下が稠密(ちゅうみつ)に詰まった組織があり、後から運用方針ができる場合が少なくない。上司と部下の関係は、外資系のワンマン運用会社に比べて遙かに複雑・微妙になる。

 一般に、日本の組織では、上司は最終的な判断権限を握ったまま、部下の自主性に業務の多くを任せておく場合が多い。「君がそう思うなら、やってみなさい」という調子で、部下に仕事をさせる。

 ところが、運用の仕事の場合、時間がたつと結果のよしあしが出るが、これが運用者の努力によって直接コントロールできない。そして、結果が悪かった場合に、上司が「私は、このリスクが大きいと思っていたけれども、そのとおりになってしまった」などと、後付けの評論で部下を腐らせることになりがちだ。