大きな災害が起こっても、人間のアイデンティティが見直されるわけではありません。

 震災前から大切だと思っていたことが、無意味になることはない。むやみに自分を否定する必要はないのです。震災によってそれまで信じていたものの価値まで変わってしまったと考えるのは極端ではないでしょうか。

 ただ単に、震災のような緊急事態がおこると社会全体のなかでの優先順位が一時的に変わるだけの話です。いま大活躍している自衛隊の人の価値が、いま急に上がったわけでもなければ、主婦の方の価値が急に下がったわけでもありません。人ぞれぞれに、担う役割や、それが必要とされるタイミングが異なるだけです。

非常時に表れる反応に
一喜一憂してはいけない

 物事に対する反応は、人それぞれです。それが健全な社会であり、この大災害を前にしてもそれは変わらないと思います。

 前回も少し触れましたが、地震から2ヵ月が過ぎたいま、夫婦の間で震災に対する捉え方が違ってイライラを募らせるケースが増えているといいます。親子や友人の間でも同じ現象が起こっていて「こんな人は尊敬できない」「もう顔も見たくない」というところまで発展してしまっているといいます。

 確かに、震災をどう考えるかというのは重大なことです。

 しかし、人が心の中でどのようなことを考えているかということは、夫婦でも親子でも友人でもわからない場合があります。

 何事もなかったかのように日常を送る夫を見て、苦しんでいる人がいるのにデリカシーがないと妻が腹を立てる。でも、夫は日々の仕事をするしかないだけで、こころの深いところではいろいろ考えているかもしれません。地震や原発が怖くて仕方がないから、恐怖を抑えるために平静を装っているだけかもしれないのです。

 非常時に人の表面に出てくる部分だけで、その人のすべてがわかるものではありません。平然としているように見えるだけで、冷たいとか鈍感だとか決めつけてはいけません。そのことで人間関係が変わってしまうのも変な話です。