ブドウの棚栽培を広めた戦国時代の医者の「長寿伝説」

 甲府盆地の東に位置する勝沼に大善寺という寺がある。その寺の本尊である薬師如来像は少し変わっている。左手に薬つぼではなく、ブドウを持っているのだ。かつての日本でブドウが薬だったという証拠だ。

 山梨県=甲州でブドウ栽培が盛んになったのにはいくつかの理由があるが、この地に棚栽培を広めたのは戦国時代から江戸時代初めにかけて活躍した医者、永田徳本といわれている。

 武田氏の侍医として仕えた徳本は、同氏滅亡後は市井の医者となり、人々の治療に当たった。貧富の区別をせず、誰にでも一服16文(18文とも)で治療に当たり、将軍・徳川秀忠の病気を治した時も同じ金額しか受け取らなかったという。

 生没年は不詳なので真偽は不明だが1630年、享年118歳で没した、という話が残っている。事実だとすれば、驚くべき長寿者である。伝説的な人物なので徳本が本当に長寿者なのか、詮索するのはやぼなこと。ただ、ブドウが他の果物と同じように健康に寄与するのは本当だ。

 日本人は果物を食べなくなった。特に若い世代でその傾向は顕著で、「平成26年国民健康・栄養調査」でも20代は1日59.9グラム、30代は52.9グラムと全世代で最低で、40代も59.5グラムと低い。50代になると99.4グラム、60代で139.6グラムと上の世代ほど摂取量が多くなっていく。実は果物の消費量がピークだったのは1970年代、この頃、果物を食べていた世代はともかく今後が心配になる数字というわけだ。