今回は番外編である。連載の本筋から離れて、東日本大震災でなぜ対応が遅れていると、批判されているかについて考えてみる。
みなさんがこれから述べることを読むと、きっと「新鮮味がない」「そんなこと知っている」「夢がない」と思われるかもしれない。ただ、「そのようなものだ」ということを、実は当事者も十分知らずに動いている。だから、「そのようなものだ」ということを知らないで動くよりも、知っていて動く方が、少しはよい結果をもたらす。
長年にわたって組織論を研究してきた者として、未曾有の大災害に当たっていま言えることは、正直に言えばその程度のことである。
大転換期においても
日本に強いリーダーはいなかった
日本及び日本人が、今回のような大災害に限らず、それまで行われていたことが破壊されたり停止して、再起を図らなくてはならない事態に直面したときに、素晴らしいリーダーがいて、その旗の下に素晴らしい復興を果たしたことはない。
なぜ私がそのこと知っているかといえば、日本の歴史をみるとそういう例がないからである。大きな出来事が起こったときに、強いリーダーがいて、ビジョンを示し、戦略を描いて、それを下にいる実行部隊に指示して、部隊が所期の戦略目的を達成するように動いていくというようなことは、日本ではまず起こらない(この書き方は「強いリーダー」をどのように定義するかで変わる。ここでは「世界史に名を刻んだほど大きなことをした」という意味で「強い」という言葉の意味にしたい)。
もちろん世界のどこの国でも、強いリーダーによるトップダウン型の変革が起こるわけではないが、われわれはそれが起きている国を、二つ、三つ知っている。そうした国の代表は、たとえばアメリカであり、シンガポールだろう。程度の差こそあれ、それらの国のリーダーには、ある程度、強い権限が集中している。