学生運動に参加した経歴を消すため、公安へ仲間を売ることで逆に自分の株を上げた。ほとぼりが冷めるまでと、志願して海南島へ渡ったが、そこで出会った広東省共産党幹部の娘を手に入れることが出来た。

 結婚を機に中央政界への足掛かりを得たと思ったのも束の間、義父が収賄で失脚したために、自分まで湖南省の田舎町へ飛ばされてしまった。自分の父親のせいで左遷させられたというのに、こんな田舎で暮らすのは嫌だと言う我が儘な女とは離婚して、幼い子供と一緒に叩き出してやった。出世の道具と考えて最初から愛情とは無縁の伴侶に、未練などはなかった。

 必ず這い上がってやると心に決め、住民思いの善良な共産党指導者の仮面を被り続けて雌伏した。江蘇省共産党の幹部である父が地道に重ねた工作が実って、ようやく北京へ異動出来たときには、十分にその仮面が顔に貼りついていた。

 北京では、偉そうにしている糞野郎どもに腰を曲げて追従し、御機嫌を取りながら名前を覚えてもらうことに日々を重ねた。そして、父の引退を契機に故郷へ戻り、この徐州市共産党常務委員という要職へ就くことが出来たのだ。ようやく自分の帝国を築く途に足を踏み入れた。すべては自分の努力で切り拓いてきた運命だったはずだ。

 あえて自分の間違いを探すとしたら、それは隆嗣と再会したことか。

 俺は、立芳の命まで奪うつもりなどなかったのだ。日本人の男に溺れて、この俺の気持ちに見向きもしなかったことへの懲罰として、逮捕させることにしたのだ。あの路地に仆れる運命を招いたのは、余計な献身の精神を発揮して身を挺した彼女自身である。そもそも警棒を振ったのは、俺じゃなくて武装警察の若造だ。

 あの出来事さえも、人生の教訓としてその後の処世に活かしてきたつもりだった。

 あの頃は、この国がこんなにも変わるとは思いもしなかった。自分が惚れた女を日本人なんかに奪われることは耐えられなかった。しかし、経済至上主義となった今では、中国にとって日本はアメリカと並ぶ大事なお得意様だ。こんなことならば、立芳と隆嗣のことなど捨て置いておけばよかったと、当時の自分の若い狭隘さを嘲笑ったこともあった。

 南京林業大学で、高教授から隆嗣の名を聞いた時、どうしてもその顔を見てやりたくなってしまったのだ。その男の恋人を奪ったことへの後悔なのか、それとも、その男への復讐の完結として会いたいと願ったのか、今となっては自分でも分からない。

 そして、彼の事業家としての実力を知り、利用してやろうと考えたのも、今にして思えば自分の愚かな諧謔心に他ならなかった。

 親友の仮面を被って隆嗣と付き合う内に、自分の罪は忘れ、今では隆嗣に話した通り、自分もあの悲劇の犠牲者であったのだと思い込むことが出来るようになっていた。そんな自己催眠の能力がなければ、13億の民を治める支配者階級の人間にはなれない。

 そして、それまでたびたび枕元に佇んで自分の睡眠を妨げていた白い衣装の亡霊が、隆嗣と事業を始めるようになってからは現れなくなっていた。

 俺は許された、勝手にそう解釈して気が軽くなり、将来への展望が開けてきたこの時になって、新たな亡霊が俺を悩ませることになろうとは。

(つづく)