「そもそも」は視野が広い人の口癖

 賢そうに見える特徴の2つ目は、「『そもそも』を語れる」ことです。適切なタイミングで「そもそも」を使うと、議論をしているメンバーに新しい気づきや視点を与えられます

 優秀なコンサルタントは、みんなが手段論に終始しているときに、「そもそも、このプロジェクトをやる目的ってなんだろう」と投げかけます。この一言で、議論の参加者の思考や視点が一気に切り替わることがよくあります。

「そもそも」の観点で一歩引き下がることで、視野の広い世界観で問題をとらえることができるのです

 このように「そもそも」と考えて前提を見直す(あるいはひっくり返す)ことをマッキンゼーでは「ステップバックする」と言っていました。プロジェクトチームなどでも、この「そもそも」によってステップバックができる人は存在価値が高いと見なされていました。

 私はシカゴ大学に留学中、他の日本人クラスメイトとともに同級生数十名を連れた日本ツアーを企画したことがあります。

 ツアーをするにあたって、どこにみんなを連れていくかを議論したのですが、「日本といえば、やっぱり京都じゃないかな」「期間も短いし東京だけでいいんじゃないか。秋葉原なんかも外国人受けしそう」「他の学校の同じようなツアーでは甲子園に連れていったらしい」とさまざまな意見が出て収拾がつかなくなってしまいました。

 そんなとき、ある同級生が「そもそも、この旅行で僕たちは何がやりたいんだっけ?」と発言しました。続けて、「たんにリゾート目的なら、わざわざ日本に呼ばなくてもメキシコのカンクーンとか近場でいいところはいくらでもある。日本食だって、ニューヨークやシカゴで食べられる。でも、彼らのほとんどは二度と日本を訪れないかもしれないんだから、日本でしか体験できない場所に連れて行こう」と主張しました。

 みんなの視点が「そうか、目的に立ち戻らなければいけない」「ツアーの目的からきちんと考え直そう」と切り替わり、議論の方向性が変わった瞬間です。

 もう一つ個人的に印象深かった例をあげると、かつて任天堂が、スマホ向けのゲームアプリをつくれるDeNAと業務提携をしたとき、ネット上などで「任天堂はスマホゲームに参入すべきか」という話が議論になったことがあります。その中では「参入すべきだ」「やめておくべきだ」などさまざまな意見が飛び交っていました。

 そんなとき、堀江貴文氏は「そもそも任天堂がスマホをつくってしまえばいいのでは。コンテンツもあるし、それなりに技術もあるんだから、スマホくらい簡単につくれるでしょう」といった趣旨の発言をしていました。

 これもまた「そもそも」が前提をひっくり返してしまった一例です。この一言だけで、その後の議論のレベルが一段上がったように感じました。

 なんでもかんでも「他人と違う、奇抜なことを言えばいい」というわけではありませんが、「そもそも」という言葉で前提を疑うのは、議論をするにあたってとても大事なアプローチです。

 先に取り上げた「中国へ進出すべきか」という議論においても、「そもそも、進出先は中国だけでいいのか?」というまったく違う視点もあります。

 このように「そもそも」を使って、前提を疑い、視点を変え、まったく新しい発想を持ち込めるというのは賢そうに見える人の条件の一つです。