“うやむや”に進めたがるエリートには
「明るみに出す」作戦が有効

 この一件では、最初の資料には「事実上の閉館」と書いてあったのに、騒ぎが起きるとこれを「利用制限」と表現するようになりました。綺麗に言葉の角を取り、あいまいでうやむやな表現にしてショックを和らげ、本質を覆い隠す。国会答弁でもよく見られる霞が関官僚の得意技ですが、彼らはこれを東大で教わるのです。

 世間では時々、「エリート組織の暴走」事件が勃発しますが、ワンマンな人物が全権限を掌握し、反対者をなぎ倒して物事を進める、という分かりやすい構図ではないケースが多いのではないかと思います。

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「一体誰が?」と皆が首をかしげ、マスコミは血眼になって犯人探しをします。「こいつが悪の根源だ!」、「いや、こっちの方が戦犯だ!」といった具合に。しかし、この図書館閉館騒動のように「実は誰も積極的に主導権を握っていなかった」というケースもあるのではないでしょうか。実際に戦犯らしき人がいるケースでも、彼が強権を発動したというよりは、周囲の人たちに敢えて動きを止める根性がなかっただけ、に過ぎないと思うのです。

 特定の「誰か」が暴走するのではなく、組織全体がいつの間にか暴走してしまう。だれも責任を取らず、異議も唱えない一方、巧みな言葉の“すり替え”でごまかしながら、コトをするっと進めてしまう。そうこうするうちに既成事実となって歯車が回り始め、誰にも止められなくなる。これこそが「東大の病」の正体です。そして私は、大日本帝国がその滅亡に至る戦争に突入していった過程も同じではなかったか、と考えています。

 この病への唯一の処方箋は、「うやむやにされたことをきちんと明るみに出し、是非を問う声を上げる」ことです。誰かが歯車に身投げして、止めないといけないのです。今回、がんばってくれた学生たちは、声を上げることで「東大の病」を正すことに成功しました。彼らにとって、非常に大きな体験だったのではないかと思います。少なくとも私にとっては東大のみならず、日本の将来に希望を抱くことのできた貴重な機会でした。