何が人生を分けるのか
運のいい人の世渡り術

 いったい、大した実力もないのにとんとん拍子に出世し活躍できる運の良い人とそうでない人は何が違うのだろうか。

 母集団の数、運の定義など、統計的な処理をすることは難しいから、印象論でしか語れないことをお許しいただきたい。

 運の良い人は、基本的に人の悪口は言わない。常に未来志向でポジティブ。俺が俺がとは前に出ず上司や周囲に花を持たせる。社交性があり、誰とでも仲良く話す。仕事をする仲間への心遣いを欠かさない。抜群の成果は出さないが、そこそこの結果は残す。ものごとの前提を問うような鋭さはない。そして、これが重要なのだが、スピーチや文章がうまく、仕事では大したことをしていないのに、あたかも一番成果を出した人のように、「あの人のおかげで成功したのだ」というように錯覚して記憶される……そして、嫌味なくおいしいところを持っていき、上から「引きたてられる力」を保有しているのだ。

 しかも、失敗をしたときも、決して言い訳をしたり人に責任を押し付けたりしない。ただ、皆に好かれ、何かと擁護されているので、失敗の決定的な犯人にされることもなく、なんとなく「愛嬌」で逃げきってしまう。それがまた悪びれたりせず、作為なく「天然」であったりするために、仮にそれに疑問を持つ人がいたとしても、そのことを指摘する人のほうが、「あんないい人を悪く言うなんて、根性がゆがんでいるのでは」と思われてしまったりする。

 現代の企業は仕事をするために集まる場ということになっているが、実際には感情を持った人の集団であり、社交性が高く好かれる人はそれだけで出世できてしまうのだ。

 そして、経歴を積むに従って、いかにもエグゼクティブらしい雰囲気を身につける。それでいて、偉くなっても偉ぶらずに、部下の言うことをよく聞き、意見を取り入れようとする。それは自分の意志が特にないからというだけの理由なのだが。人から聞いた口当たりの良いビジョンを掲げることで、組織は一瞬活気づき、だんだんその人をよく知らない人にまで、素晴らしく人望のある人と言われるようになっていく。そうなると、能力がない人ではなく、能力のある立派な人ということになってしまうのだ。そして、神に祝福されたとまではいわないが、「幸多く、プラスの雰囲気をまとう人」として完成されていく。