誰もが知っていながら、誰も大声で言えなかった。それが「名ばかり」の電力自由化の実態だ。そんな現場の声を拾いつつ、未来のエネルギー像を探る企業や自治体の取り組みを紹介する。
(「週刊ダイヤモンド」編集部・片田江康男、小島健志、後藤直義)
「発電所だって計画停電の対象です。例外はありません」
3月11日の東日本大震災後、点検を終え試運転に入っていたある独立系火力発電所の関係者は、東京電力の発言に耳を疑った。電力不足に見舞われた東電の地域に電力を送ろうとする他社の発電所を、東電は送電線ごと止めようとしていたのだ。
東電が他社の電力を受けることをいやがるのは今に始まったことではない。他社の電力を受け入れれば受け入れるほど、独占事業のうまみがなくなるからだ。電力供給は自分たちだけが考えて行うという姿勢が震災後、色濃く表れた。
もっとも日本の電力市場が1995年以降、段階的に自由化されてきたことはあまり知られていない。そもそも電力はいったいどのような仕組みで届いているのだろうか。
右の図をご覧いただきたい。発電所で生産した電力は、送電線を通して運ばれ、家庭や工場などへ送られる。発電は主に電力会社が担うが、95年からは、石油会社やガス会社などの、冒頭のような独立系発電事業者が参入している。
発電部門だけでなく、小売り部門も2000年から徐々に自由化された。家庭や商店はまだ規制対象だが、50キロワット以上の工場やビル、病院、オフィスなどは契約が自由だ。すでに市場全体の6割が自由化されている。そこに新規参入したのが特定規模電気事業者(PPS)と呼ばれる45社だ。
PPSは、独立系の発電所などから電力を仕入れ、企業や工場に電力会社よりも安く電力を販売する。ただ、送電には電力会社の送電線を借用するため、託送料という“通行料”を支払う。04年には電力の市場である日本卸電力取引所ができ市場取引も始まっていた。
しかし、PPSの販売電力量は全体のシェアの3%にすぎない。送電線の使用料や火力発電所の燃料費の高騰で、その経営は決して楽ではなかった。
震災はPPSにさらなる追い打ちをかけた。東電は電力の安定供給を楯に一方的に送電線の利用を止めたのである。市場の取引は停止し、PPSも自前で確保したはずの電力を客に送れない事態に追い込まれた。
その影響をもろに受けたのがPPS最大手のエネットだ。計画停電の発表後、客からは「なんで東電でもないおたくの電力が使えないのか」とクレームが殺到した。
実際、エネットの電力供給源は被災しておらず、送電網さえ使えれば客は停電にならなくてすんだのだ。今も十分に発電余力はあるが、国の方針で客には節電の要請をしなければならない状況に追い込まれている。客への供給停止で損失が数億円以上も発生したうえ、さらに節電要請で逸失利益も出る。
武井務前社長は「電力不足のときこそ本当は競争のチャンスなのに、国が自由化に対するブレーキを踏んでいる」と憤る。