「幸せ食堂」繁盛記
【第四九回】 2017年6月30日 野地秩嘉

昭和中華の懐かし醤油ラーメン、老夫婦が目黒で守る涙あふれる味

開店は東京オリンピックの翌年

 こばやしは目黒駅から一駅となりの不動前にある。駅前商店街ではなく、駅から5分ほど歩いた住宅地のなかで、中高一貫の攻玉社学園の至近だ。

「元はうちの親父が子ども相手の駄菓子屋をやっていた」

 主人の小林保男は言った。

「親父は深川で職人仕事をしていたけれど、気の強い人で、親方とケンカして飛び出した。それから不動前で駄菓子を売って……」

 工業高校に進んだ主人は4年間、サラリーマンをやったものの、肌に合わないから退職。高円寺の町の中華で修業した後、駄菓子屋をラーメン屋に改築。妻とふたりで町のラーメン屋を開業した。店を開いたのは1965年。東京オリンピックの翌年だ。

「あの時、オレは23歳だった。オレにも23歳の頃があったんだ」

 うなづきながら言う小林は現在、76歳。オープンから52年間、真面目に商売を続けている。

「昔はチャーハンなら7人前は入れた鍋を振ることができた。でも、いまは腕が衰えたから、せいぜい3人前しか振れない」

 ちょっと寂しそうな顔になった。わたしは元気をつけるために言った。

「3人前を振れたら充分じゃないですか。僕は1人前を振ることすらできません」と伝えたら、「それもそうだな」と笑った。

 こばやしの味は創業の頃からまったく変わっていない。ラーメンを頼むと濃い色のしょうゆ味のとんこつスープ、多めの麺、チャーシュー、シナチク……。濃い色をしているけれど、昨今のどろどろしたとんこつスープとは違い、あっさりしているから最後の一滴まで飲み干すことができる。しかし、飲み干すと喉が渇く。

 スープを飲むと喉がひりつくのが昭和の味だ。ここには本当の昭和のラーメンスープが生き残っている。

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

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