結局、なでしこジャパンへの国民栄誉賞の授与が決まった。先週のコラムでの提言は徒労に終わった。政府の厚顔無恥、協会の権威主義には改めてあきれてしまう。
繰り返しになるが、今回の受賞は、団体としては初、これまでは長期にわたる実績を認められた個人にのみ贈られたき同賞が、一度の世界一で、まだ発展途上の選手たちに授与されたという異例のことになる。
3・11震災後の日本に勇気を与えたというのが主な受賞理由だそうだが、職業柄、素直に喜べない。私はひねくれているのだろうか。
これも繰り返しになるが、なにしろ、チーム団体での世界一ならば過去にも多くの例があるはずだ。近年でもWBCでの世界一、女子ソフトボールでの世界一、枚挙にいとまがないではないか。
他とのバランスで考えれば、内閣総理大臣顕彰などが妥当ではなかったか。その考えはいまなお変わらず、政府が国民栄誉賞を持ち出してきた背景を考えると、暗澹たる気持ちになる。これはのちに説明しよう。
日本のメディアだけが扱わない言葉
「スピンコントロール」
それにしても、案の定だが、大手メディアは今回の受賞を手放しで褒め称え、報じ続けている。そう、それが実は政府のスピンコントロールである可能性が高いにもかかわらず、一切そうした点への検証はない。相変わらず、おめでたい人たちである。
政府が、その政権運営、権力維持、情報管理のために行うメディア戦略をスピンコントロールという。情報統制の基本中の基本で、もはや世界中の国では常識となってさえいるこの言葉を、日本のメディアだけが扱わない。
米国ではベトナム戦争の70年代、そして冷戦末期の80年に、メディア統制のために盛んに語られた政治用語のひとつでもある。実際、ホワイトハウスの記者会見場は“スピンルーム”とも呼ばれ、日常的に、記者たちが政府のスピンを警戒する空気ができている。