現役サラリーマンは、自分で自分の生活と人生の時間を簡単にはコントロールできない。しかし、定年になれば話は別だ。自ら裁量を発揮できる定年後は、好きなことに思う存分、取り組める。60歳から、そんなイキイキした時間を謳歌するには、どうすればいいのだろうか。(ビジネス書作家 楠木新)
伊藤若冲は40歳で家督を譲り、絵描きになった
原稿を書くために、「定年」についてあれこれと検討を重ねていると、定年に近い概念として「隠居」があることに気づく。
「隠居」は、辞書で見ると、「勤め・事業などの公の仕事を退いてのんびりと暮らすこと、世俗を逃れて山野などに閑居すること」とある。
隠居と言えば、京・錦小路にあった青物問屋の主人だった伊藤若冲が40歳で家督を弟に譲って有名な「動植綵絵」を描き始めたことや、49歳で家業をすべて長男に譲って江戸に出て、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬などが頭に浮かぶ。
定年は法律や会社の就業規則に根拠があるが、隠居は仕事を引退した後の暮らしぶりのことだと理解している人もいる。しかし戦前の旧民法には隠居の規定があった。
戦前は、家族の統率・監督を行うための権限を戸主に与えていた。その戸主たる地位である家督を相続人に承継させる制度が家督相続であって、隠居は死亡などと並んで家督相続の開始原因の一つであった。隠居ができる条件は下記のとおりである。
1.(年齢)満六十年以上なること(752条)
2.完全の能力を有する家督相続人が相続の単純承認を為すこと(752条)
現在の多くの会社の定年と同様、60歳が基準となっている点が興味深い。こうして見てくると、隠居も定年も世代交代を目的に一定の年齢に達したことによって引退するという意味では共通している。
ただ隠居に関する一般の書籍を読むと、イキイキした老後の姿が描かれている本が少なくない。例えば、大学や研究機関の職を歴任した後、引退後に書いた加藤秀俊氏の『隠居学』、『続・隠居学』では、好奇心あふれる隠居の日々やそこで考えたことを書いている。また『江戸の定年後―“ご隠居”に学ぶ現代人の知恵』(中江克己)と読むと、隠居後に充実した人生を過ごした人たちが数多く紹介されている。先ほどの伊能忠敬についても書かれている。
これらの本を読むと、定年になった会社員から聞こえてくる声とは比較にならない自由な精神が横溢している。