「携帯電話は使わなくてもいいんです。イー・モバイルを使う人が増えたときか、災害時に使ってください」。
2台目の携帯電話を持つ必要がないために断ろうとする客に、スタッフは「箱にしまったままでも構いませんから」と食い下がってくる。
イー・モバイルの販売店では、今年7月からこのようなデータ通信端末を契約した客にもれなく携帯電話を“押し付ける”キャンペーンが行われている。
その名も「セットで話そうキャンペーン」。携帯端末の代金とイー・モバイル同士の通話を24時間無料にするもの。基本料金すら無料となる大胆なプランだ。客は携帯を箱に入れておいても損はない。
これでは、イー・モバイルブランドを展開するイー・アクセス社は赤字を垂れ流すことになる。業界では端末代金を実質的に無料にしても、2年間の割賦契約を結んで縛りをかけ、基本料金や通話料金で儲けるのが常識だからだ。
じつはからくりがある。“押し付ける”携帯端末はすべて在庫品。すでに特別損失で処理しており、今期の業績に影響が出ないのだ。それどころか、形ばかりの契約を結んで客を確保している。
それでは、なぜカネにならない端末をわざわざ“押し付ける”のか。
これは、データ通信に特化してきた同社が音声通話に本格参入する上での妙案なのだ。
2005年に携帯電話事業に参入し、07年からデータ通信の定額サービスを始めた。基地局を一から整備したため、他社に比べて通話可能な地域はごく限られていた。そのぶん、高速データ通信に特化して客を集めた。10年度の累計契約件数は、3年前の約8倍の311万7900件まで伸ばし、うち約9割がデータ通信の利用者だ。
通信網の人口カバー率が92%に達し、全国ほとんどでつながるようになったことで、いよいよ音声通話携帯の需要も取り込める体制になったわけだ。
とりわけ東日本大震災では、その通信網が意外な力を発揮した。
じつは震災後、イー・モバイル端末には一度も通信規制がかからなかった。被災した基地局878局のうち津波で全壊したものは約1%。それも5日間で8割がたが復旧した。後発参入のために、基地局が小型化され復旧が容易だったのだ。
そのため個人だけでなく、危機管理対策として法人の需要も生まれた。イー・モバイルが震災時に使える端末だと認められたのだ。
この秘策を打ち出せる理由は、もう一つある。財務面が安定したことだ。
通信のようなインフラ事業は先行投資が必要だが、10年度にようやく設備投資がひと段落、モバイル事業の営業損益が初めて黒字化した。つまり今後は契約者が増えるぶん、キャッシュを稼げる企業体になったというわけだ。
事実、実績も出てきた。今期の契約件数は見通しの385万件を上回るペースで増えている。震災の影響が約1億円で済んだこともあって、今期は前年度比10.2%増の売上高2000億円、同16.7%増の純利益170億円と、過去最高益となる見通しだ。さらに業績予想の上方修正の可能性が高い。
同社のエリック・ガン社長は「契約数は予想よりかなり伸びている。居酒屋で食べ放題と飲み放題があるように、データ通信と音声通話も定額料金で安心して使ってもらえるようにしたい」と話す。
勢いづいた同社は、携帯1台目を申し込むと3台目まで無料になるキャンペーンも打ち出している。
“押し付けた”端末が将来的にキャッシュを生む、飛躍の種を着々とまいている。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 小島健志)