「心無い言葉」に、感情的になってはいけない

 ただ、若いうちは「言い出しっぺ」になっても、どうということもないのですが、職位が上がるにつれて、提案内容の規模が大きくなってきますから、その分、風当たりも強くなってきます。
 私自身、「前例がない」「何を考えているんだ」と言われたことはもちろん、ときには「何をバカなことを言ってるんだ」と怒鳴られたこともあります。あるいは、「あいつは生意気だ」「絶対に失敗する」と陰でかれていると、親しい同僚に耳打ちされたこともあります。

 たとえば、タイ・ブリヂストンのCEOになってしばらくは、ずいぶんと逆風が吹いたものです。というのは、第2工場の新設を皮切りに、その第2工場にプルービンググラウンド(タイヤのテストコース)を併設するなど、矢継ぎ早に事業提案をしたからです。それぞれ、かなりの投資を要する事業ですから、「言い出しっぺ」の私にはかなりの風圧がかかったのです。

 特に、第2工場新設を提案したときは厳しかった。
 1990年代初めのことで、当時、タイやインドネシアではモータリゼーションが本格化し始めたことから、タイヤ需要も急激に増える兆しを見せていました。そこで、他社に先駆けてシェアを確保するためには、最新鋭の第2工場が必要不可欠だと判断したわけですが、本社からは「あいつは、いったい何を言い出すんだ?」と大反発が寄せられました。

 というのは、1985年のプラザ合意後、円高が急激に進行していたために、本社の輸出部門が大打撃を受けているタイミングだったからです。これほどの円高が続けば、国内工場の何か所かはいらなくなるとさえいわれる状況でした。そのため、タイ・ブリヂストンのCEOといっても部長級に過ぎませんから、上層部の一部からは「あいつは、いまどういう状況かわかってるのか?」「バカじゃないのか?」と厳しい言葉を投げつけられたものです。

 正直、心無い言葉に傷つきもしましたが、ここで感情的になっても得るものはありません。いや、自分の提案に自信があれば、心無い言葉を投げつけられても一切揺るがないというべきでしょう。

 私にすれば、タイと日本は国の状況が違う。そして、さらに円高が進行すれば、日本から輸入してタイで売っているタイヤの替わりに現地生産品の普及が進むはずだから、いまこそタイで現地生産する能力を向上させ、タイ・ブリヂストンの自立能力を上げるべきだという確信は揺るぎません。こういう局面で重要なのは、「話のわかる」人物の理解を得る努力をすること。これが突破口となって、必ず「天井をこじ開ける」ことはできるのです。

 そこで、海外事業について知見をもつ役員に的を絞って、何度もしつこくレクチャーを繰り返すことで、「資金はタイ・ブリヂストンで調達せよ」という条件つきではありましたが、なんとか取締役会の承認を取り付けることに成功。さまざまな障壁を乗り越えながら第2工場を完成させると、アッという間にタイ国内でのトップシェアを確立。さらに、タイ・ブリヂストンが高収益を上げ続ける事業基盤を築くことができました。今となれば、あのタイミングでやっておかなければ、どうなったことかと思います。

 それだけではありません。私は、タイ・ブリヂストンのメンバーに「世界のモデルとなるような工場をつくろう」「機能的かつデザイン性にも富んだ、みんなの誇りになるすごい工場をつくろうじゃないか」と呼びかけ、みんながそれに応えてくれて素晴らしい工場をつくり上げてくれました。そのおかげで、社内外から称賛を寄せていただけたのです。