INTERVIEW WITH RYUICHI SAKAMOTO【前編】はこちら >

 
文=吉村栄一 写真=田島一成  スタイリング=山本康一郎 グルーミング=YOBOON 撮影協力=パーク ハイアット 東京
坂本龍一 1978年デビュー。ソロ、YMOの他、アカデミー賞を受賞した『ラストエンペラー』など多くの映画音楽も制作。近年は音楽活動のほか札幌国際芸術祭2014でゲスト・ディレクターを務めるなど現代美術にも深く関わる。中咽頭ガンを乗り越えて8年ぶりのアルバム『async』を本年発表した。

 

音を発するモノ自体を作ろうという考え

─次のアルバムは茶碗にして、その割れる音を作品とするというアイデアもあるそうですが(笑)。

 自然の音がいいと言っているわけだから、音を発するモノ自体を作ろうという考えもあって、茶碗の割れる音というのもいいかなあ、と。茶碗って割りたいですよね。

─……まあ、そうですね。

 イタリアのどこかで、大晦日に二階から投げてお皿を割るお祭りをやってるでしょ。人間はどうもあの音に惹かれるらしい。本当はみんな陶器を割りたいけど、もったいないからと我慢してる。

 だから最初から割ることを前提の茶器などを作って、それをぼくの作品として届けるのはどうだろうと(笑)。割れるときの音がぼくの作品。割らなきゃいけないから、一度だけの再現になるんだけど、二つ買ってもらって、一つは割って一つは飾って眺めてもらうと売り上げは二倍になる(笑)。

 割るにしても、どこに落して割るかで音は変わってくるし、誤ってカーペットの上に落したりしたら、鈍くてあまりいい音にはならない。しまった、もう一つ買わなきゃとか(笑)。

─繰り返しができない究極の即興演奏?

 近年、人間が頭で考えて作る音楽の限界ということをとても強く感じます。即興だからいいというわけではなく、よくない即興演奏もあるんです。

 精緻に考えて作った曲のほうがいいこともある。ただ、音楽に限らず、建築にしても美術にしても、ものすごく頭のいい人たちが考え抜いて作ったものでも、やはり自然の造形や複雑さには及ばないと思うことがよくあるんです。

 ぼくの性格かもしれないけれど、自分が精密に青写真を描いて、それが正確に再現されてもおもしろく感じないんですよ。青写真を描いた時点で完成形がわかってしまうから驚きも喜びもなくなる。

 自分では思いもよらなかったことが起こるその瞬間に立ちあうということに喜びを感じるんです。これは子どもの時分からそうでした。

 作曲の勉強を始めたのは11歳のときですが、その頃から作っているときがいちばんおもしろかった。作っている最中というのはその先がどうなるかわからないから、瞬間瞬間がおもしろい。完成してしまうと、その先にはもう驚きが起こりえないからつまらない。

 譜面を書き終えた時点で青写真が完成してしまって、あとはその通りに再現されるだけになってしまう。だから、ぼくはまちがって建築家をめざさなくてよかったと思う(笑)。

 設計図通りの家ができてしまうとおもしろくないけれど、設計とちがう家ができてもそれはまた困るというジレンマがある(笑)。