“アメリカ的な感性”を持つことが
日本でも必要なのかもしれない

 日本でも「相手がどんな人間か、わかったものではない」と考えるようにしていれば、結果的に大きなトラブルに巻き込まれることはないだろう。

 むろん、ガラの悪そうなドライバーの傍若無人ぶりを注意せずに放っておくことはよくないし、許されることではない。

 とはいえ、よほど正義感の強い人か、好戦的な人でもなければ、路上で暴走族が通行を妨害していたり、電飾だらけでカーオーディオを大音量で鳴らしているようなクルマがノロノロ走っているのに対して、むざむざ喧嘩を売るような真似はすまい。

 今回の東名高速の事例も、相手をひと目見て「マトモではない」という感じだったら、もっとリスクを避けるような方法で対処するなどして、トラブルにはならなかっただろう。

 相手のクルマが一見普通のステーションワゴンで、クルマの外観だけでは「普通」か「普通でない」か、見分けがつかなかったのが不幸だったともいえる。

 「人を見て判断する」という方法について、良いか悪いかの議論はあるだろう。だが、乗り込む人をちゃんと見て、「話の通じる相手かどうかを見極める」といった“アメリカ的感性”をちょっぴり持つことも、無用なトラブルを避ける策として認識すべきなのかもしれない。

絡まれるリスク」を常に意識する
長距離トラック運転手

 こういうトラブルに巻き込まれるのは、乗用車だけではない。以前、全日本トラック協会のコンテスト取材のときに、1年に何十万キロも走る長距離トラック運転手とたまたまロードレイジの話題になったことがあるが、長距離運転手でもプロ意識をちゃんと持っている人は、相手がトラックであろうと乗用車であろうと、「絡まれるリスク」を常に意識するものだという。