オリンパスは11月8日に、過去の企業買収で支払った多額の報酬や買収資金(2社計で約1420億円)は、同社がバブル期に行った「財テク」(証券投資)で生じた損失を解消するために使われていたと発表した。1990年代に、含み損を抱えた運用資産を複数のファンドに移すなど、複雑な操作をして、損失の計上を回避し、2008年頃に行われた企業買収で必要以上の資金を支払って損失の穴埋めに充てていたと見られている。

 オリンパスは過去5年分の決算を訂正する方針を固めたと伝えられているが、決算が訂正されると、現在開示されている自己資本や企業買収によって生じた「のれん」代は当然減少することになる。東証は11月10日にオリンパスを「監理銘柄」に指定した。

はたして日本人社長だったら告発できたであろうか。
ダイバーシティの重要性が改めて確認された事件

 この問題が今回発覚したのは10月14日に同社のウッドフォード元社長が「独断専行」などの理由によって突然解任されたことに端を発している。ウッドフォード氏は、過去の不明朗な取引を指摘したことが、解任の引き金になったと反論したが、結果的に見れば、ウッドフォード氏の主張が裏づけられた形となった。

 なお、この間に株価は五分の一以下の水準まで暴落したが、これだけ長期に亘って市場を欺き、多額の損失を先送りしてきた以上、当然の結果と見るべきであろう。

 ここで一つの素朴な疑問が浮かんでくる。外国人であるウッドフォード氏が仮に社長に就任していなかったとしたら、この問題が明るみに出たのかどうかという疑問だ。言い換えれば、日本人の社長がウッドフォード氏の代わりに選ばれていたら、諸先輩に気兼ねして、会社の恥部を表面に出さなかったのではないか、という疑問だ。

 前にもこのコラムで指摘したが、一般に同質的な集団の中から抜擢された経営者は、アンデルセンの童話ではないが、いまさら「王様はハダカだ」とはなかなか言えないのではないか。「王様はハダカだ」と気兼ねなく言い切れるのは、異質なグループ(象徴的に言えば、女性・若者・外国人)から招へいされた経営者に限るのではないか。その意味で、オリンパス事件の教訓の第一は、「経営陣をダイバーシファイすること」の重要性が改めて確認できたということではないだろうか。

 これまでの多くの日本企業が踏襲してきた同質性の極めて強い経営チーム(信仰)を、この際、きっぱりと捨て去り、異質な集団である「女性・若者・外国人」を経営チームの中に取り込むことが重要だ。法制度的には、例えばEUでも検討されているクオーター制をわが国でも思い切って導入してはどうだろうか。