週刊ダイヤモンドが当局関係者から独自に入手した非公開資料と元社員の証言によって、同社が破綻に至った深層が明らかになった  Photo:REUTERS/アフロ、JIJI

『週刊ダイヤモンド』11月25日号の第1特集は「山一・拓銀破綻から20年 バブルで日本は何を失ったか」です。1997年11月、山一証券と北海道拓殖銀行が相次いで破綻し、国民に大きな衝撃が走りました。それから20年、本誌が当局関係者から独自に入手した非公開資料と元社員の証言によって、山一が破綻に至った深層が明らかになりました。

「ニギリ」「飛ばし」が常態化
当局は違法行為を知っていたのか?

「ニギリファンドを取ってこない部長はクビだ。代わりはいくらでもいる。何事も上を巻き込めば会社ぐるみになる。何の問題もない」

 本誌が当局関係者から入手した資料には、山一証券の不正行為が会社ぐるみであったことが克明に記されていた。1980年代後半の話である。この物騒な発言の主は、当時の事業法人本部長だった高木眞行だ。

「ニギリ」というのは、山一が大口顧客に一任運用のファンドや株を売る際に、あらかじめ一定の利回りを保証する契約のことで、明らかな違法行為だ。それを経営幹部が何のためらいもなく、部下を恫喝して命令していたのである。

 株価が右肩上がりのうちは顧客も山一もこのやり方でもうけることができた。しかしバブルがはじけて株価が下落し始めると、ニギリファンドは多額の含み損を抱えた“爆弾”と化す。

 そこで新たに編み出された違法行為が「飛ばし」だった。簡単に言えば、ファンドの含み損が決算で表面化しないように、決算前によそへ一時的にファンドを移して、決算後に元に戻す行為だ。そうすれば決算で評価損を計上しないで済む。

「飛ばしは、事業法人部では公然の秘密だった。少なくとも300人くらいの人が知っていたのではないか」。93年に海外留学から帰国して事業法人第一部に着任した稲田洋一(58歳、現レコフ社長)は、そう打ち明ける。