なぜ、あのときバブルは崩壊したのか? 誰もがおかしいと思いながら、なぜ気づかなかったのか? 失われた20年を生み出したバブル崩壊後の世界を今、学びなおす。代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく語る、社会人のための「経済史」学びなおし講義。

時間差で気づいたバブル崩壊の足音

 僕は予備校の授業で「バブル崩壊は1991年から」と教える。実際、地価の下落が始まったのは1991年だから、これは間違っていない。

 しかし、景気が明らかにおかしくなったなと実感できたのは、1993年の頭ぐらいからだった。でも実は、株価だけなら、すでに1989年末をピークに下がり続けていた。

 なぜこんなズレが生じたのか? 地価下落と不況の実感にズレが生じるのは、これはある意味当然の話だ。だって、不動産がうまく転がらなくなったからといって、その瞬間企業が即死するわけじゃないし、銀行から借りられなくなっても、まだまだ農協マネーをバックにつけている住専や長銀からは資金を借りられたからだ(住専破綻は1995年、長銀破綻は1998年)。

 ただ、全体的に資金繰りが苦しくなってきているのは事実だから、不況の実感も徐々に追いついてくる。そのタイムラグが1~2年かかったというだけの話だ。

 しかし、株価の方は1989年末を過ぎると、その後はかなりヤバいペースで下がり続け、1990年末には日経平均株価は2万3000円台にまで下落している。これは相当な下げ幅だ。ということは、少なくともこの時点で株価バブルは崩壊し、誰もが日本の先行きに危険な臭いが立ち込めていることを予感できたはずだ。

 でも、まだその時点では、全体的なバブル傾向は弾けなかった。なぜか? それはまだ、地価が下がっていなかったからだ。つまり、僕らの脳みそは、この数年間バブルの毒にどっぷり浸かって完全にバラ色に汚染されており、すっかり楽観的になった僕らは、この繁栄がもうすぐ終わりを迎えるなんて考えもしなかったのだ(バブルのときはどの国の人もみんなこうなる)。

 だから、正常なリスク判断ができず、「株価が下がったのなら、土地で取り戻せばいいじゃないか」みたいな考え方になっていたのだ。「パチスロでしくじったから、麻雀で取り返そう」──これはカイジや留年マニアと同じ、クズ人間の発想だ。

 そして1993年頃、バブル崩壊による本格的不況時代の到来を、僕らは身をもって痛感させられることになる。

 その年、僕は就職活動の年だった。本来なら1990年がその年だったものを、パチスロと麻雀で3年も留年したからこうなった。当然の報いだ。でも僕は、全然慌てていなかった。なぜなら、昨今の売り手市場なら、3留ぐらいハンデにもならない(なるか)、おそらく多少の苦労はしても、気がつけば一流と名のつく企業のどこかには滑り込めるはずだ。

 会社員になるのはイヤだなんて駄々をこねてきたが、そろそろ大人になろう。ついに年貢の納め時か……なんて考えながら、僕は毎年山のように届く就職情報誌が配達されてくるのを待った。

 ところが、来ない。待てど暮らせど、来ない。あれおかしいな。なんで来ないんだ。ひょっとして6年生と7年生の間には深い溝があって、ここを越えちゃいけなかった? それとも、企業の人事課のリストでは大学7年生のページに「ここから無視」とか書かれていて、そこには求人資料を送っちゃいけないことになっているとか。

 僕はちょっと不安に思いながらも本屋で就職情報誌を買ってきて、この辺なら入ってやってもいいや(バブル学生の発想)と思える企業3社に対して履歴書を送った。

 しばらく待つと、3社すべてから返事が届いた。僕はその返事を見たとき、あまりの意外な内容に、しばし事情がのみ込めなかった。そこにはそれぞれ違った表現ながらも、ほぼ同じ内容が記されていたのだ。

 ──本年度は諸事情により、新規卒業生の採用は見合わせることになりました。

 え? 何これ、どういうこと? バブルはすでに弾けていた。新聞やテレビではだいぶ前からこれを言っていた。僕はそれを、このとき初めて実感した。

 僕はこの年、就職活動に失敗し、塾講師という名のフリーターになった。そしてそれが合図であるかのように、世の中には企業の倒産、銀行員の逮捕、証券会社の不祥事(損失補填など)などのニュースがあふれ始めた。しかも、この年は未曽有のコメ不足で、僕らはみんな、食いたくないのにタイ米やブレンド米を食わされた。なんて年だ!