「最初は東京・銀座の一画にイチゴ農園を造ろうと考えていた」
銀座農園社長の飯村一樹はそう切り出すと、銀座の街角にイチゴ畑が描かれている一枚の絵を取り出した。自らの構想を描いたスケッチだ。「新鮮なイチゴの苗木を運ぶコストが見合わないため諦めた。水田ならできると考え、妻と2人で始めた」(飯村)。ただ、手持ち資金だけでは実現できない。そこで、100人の農家から2万5000円ずつ、計250万円を募る資金調達を計画した。
1100人の農家にダイレクトメールなどで事業意欲を伝え、その情熱に動かされた88人の力で、2009年5月に銀座一丁目の駐車場用地に水田が誕生。当初は興味を示さなかった農家も、自ら事業に出資したとなれば愛情が湧く。全国から大勢の農家が視察に訪れ、飯村はコメ作りをしながら積極的に名刺交換をした。これが10年4月に東京・有楽町で生まれる交通会館マルシェにつながる。
飯村は茨城県の兼業農家の家庭で育ったが、特に農業に興味があったわけではない。大学では建築を学び、26歳からITを活用した不動産ベンチャー企業で不動産投資部門の責任者として百億円単位のプロジェクトファイナンスを扱った。だがあるとき、過労で体調を崩して1カ月半ほど会社を休んだ。いったん復帰するも、それを境に「数字の羅列で無味乾燥な不動産投資の世界に興味を失い、足を洗った」。31歳で独立し、06年に地域活性化についてのコンサルティング会社を起業した。