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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

あの波ではダメだ。なめていたんだ、津波の怖さを…。
消防活動中に家族3人を失った店主の「枯れ果てた涙」

――陸前高田市の吉田無線商会店主・吉田寛氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第16回】 2011年12月6日
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 3月の震災から9ヵ月が過ぎようとしている。だが、津波などで家族を亡くした遺族の心は癒されていない。

 今回は、地震発生の直後、消防団員として活動をするために家族と離れ離れになり、その後、再会することができなかった男性に取材を試みることで、「大震災の生と死」を考える。


妻、次男、母親を一度に失った店主
「仕事と家庭の両立」はもはや限界に

 「父子家庭になってみて、つくづく思った。俺には、仕事と家庭の両立は不可能だ……」

 陸前高田市(岩手県)で電気店「吉田無線商会」を営む、電気工事士の吉田寛さん(34)は、太い声で切り出した。私が店を訪ねたのは、午後6時。高台にあり、周囲には明かりがほとんどない。暗闇の中で店の灯りが明々としている。事務員の女性とアルバイトの男性は、すでに帰ったという。

 3月11日の地震後、市内の高田町を中心に押し寄せた巨大な津波により、吉田さんは妻の真紀子さん(33)、2人兄弟の下の将寛君(5)、そして母親の静子さん(73)を失くした。

 店や家も津波で流された。基礎すら残っていなかった。現在は仮設住宅で、小学4年の長男の芳弘君(9)と暮らしている。

 「朝は6時30分に起きて食事を作り、息子と食べる。その後、学校に行くのを見届ける。2人になっても、震災前とは違う形で幸せな家族でありたいとは思う。だけど、自営業をしていることもあり、時間をなかなか作れない。芳弘には“ごめんな”と謝ってばかりいる」

 1日の仕事を終えて仮設住宅に戻るのが、午後7時30分から8時の間。震災前は、この時間帯から見積書や請求書、さらに営業日報などを書き、10時頃までは仕事をしていた。だが、今は真紀子さんがいない。吉田さんが1人で全てを賄わないといけない。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

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