「女房がいなくなって半年以上が経った。もう、体がもたない。精神も疲れ切っている。最近は、息子のために飯も作れない日が増えてきた。帰り際に、ほっかほっか弁当を買って食べさせている。こんな生活は長くは続かない」

 週末にも仕事が入る場合があり、そのときは芳弘君を、隣町にある真紀子さんの実家に預かってもらうようにしている。

「ありがたいけど、さすがに毎週はお願いできない。俺には兄弟がいない。父は10年ほど前に病死。頼る人がいない……。もう、自分の力を信じて生きていくしかない」

「家や車が流された」なんて超くだらない!
俺は家族に生きていて欲しかった・・・・・・。

 9月に再開した店の入口付近にある丸いテーブルを隔てて、吉田さんは話し続ける。震災から半年を過ぎた9月頃から、被災者の中でも意識の面で「差」が出てきたと感じ取っている。

「友人や知人と会うと“大変だな”と言われる。家族3人がいなくなったことへの同情なんだろうね。だけど、俺はあまりいい気がしない。『買ったばかりの車が流されたから困った』と愚痴るやつもいる。超くだらない!……」

 私がその相手に何を言いたいかと聞くと、苦笑いをしながら答える。

「『良かったね、車ぐらいで……。俺は大変だよ。代わろうか?』とも言っている。車も家も働いて買えばいいじゃない。俺は1万台の車を所有していたとして、その全てが津波で破壊されても悲しくない。家族がいれば……それでいい」

 3月11日のことを尋ねると、吉田さんの声の勢いが弱くなった。

「悲しい、というレベルを超えている。俺の頭では理解不能だ。あの日の昼に一緒に飯を食った女房、息子、母親がその数時間後にいない。もう、永遠に会えない。そんなことがあっていいわけねぇ…… 」