紅白歌合戦が初めて
中国で放映された

 今年は寝正月だった。昨年、酷使していた体をすこしでも癒そうと考えたからだ。

 ここ数年、ほとんどテレビを見なくなってしまったが、それでも大晦日の夜には、いままでの慣性に任せて、何気なくテレビの前に座り、見るともなく第62回の紅白歌合戦を見ていた。松田聖子と一緒に歌った神田沙也加ちゃんのあの青春に輝く顔が印象に残った以外は、特に記事として取り上げることはないと、その時は思った。

 しかし、実は今度の紅白歌合戦は、いろいろな意味で語らなければならない。日本の皆さんがどこまで知っているかはさておいて、中国では、この日本で国民的イベントと言っても過言ではない番組が初めて中継放送された。

 紅白の放映権を取得したのは上海の東方衛星テレビだ。経済の都として日本ともっとも密接な関係にある上海、邦人長期滞在者がもっとも多い町、日本語学習人口、日本留学経験者も圧倒的に多い港町。その上海の衛星テレビが日本の代表的な番組に、大きな関心を払うことは自然と言えば自然な成り行きだ。

中国人の身の回りから
日本ブランドが消えていく

 だが、私はそうは思わない。むしろ紅白歌合戦の中国での中継放送は、日中関係における一つの転換点として見るべきではないかと主張したい。

 1978年に改革・開放路線を歩み出してから、中国は長らく日本を師と仰いでいた。日本の今日は中国の明日だと信じて、中国国民は改革・開放時代を受け入れ、その時代変化の陣痛に耐えていた。あの頃の日本の存在は大きかった。