「G-SHOCK」の産みの親、カシオ計算機の伊部菊雄氏伊部菊雄・カシオ計算機時計事業部モジュール開発部モジュール企画室主幹 Photo by Jun Takai/Photocompany

「落としても壊れない時計」。その1行以外に何も書かれていない企画書から、35年間で累計1億個を売った「G-SHOCK」の歴史は始まった。

 当時の腕時計は、子供が高校の入学祝いに買ってもらうような高級品で、簡単に壊れるものだった。1976年にカシオ計算機に入社した伊部菊雄も、学生時代に親に買ってもらった時計を着けていたが、ある日それが床に落ちてバラバラに壊れた。「本当に壊れるんだ」と逆に感動し、本来なら構造設計のアイデアやスケジュールなどを細かく書き込むべきである企画書に上記の1行だけを書いて提出。81年5月、28歳のときだ。

 薄く小さく作るのが主流だった当時の時計業界の常識と逆行するアイデアが受けたのか、1行だけの企画書になんとゴーサインが出た。ちょうど伊部が勤務していた羽村研究センターの外では道路工事が行われており、道路工事作業員がハードな環境でも使える時計を目指し、開発がスタートした。研究センターの3階にあった実験室の脇にトイレがあり、その窓から地面への高さがちょうど10メートル。トイレの窓から時計を毎日落とし続ける伊部の姿は名物になった。

 だが、実際に開発が始まると「これは無理だ」という絶望が伊部の中で強まった。当初は「時計の表面に衝撃を吸収するゴムでも付けておけばいいだろう」と気楽に考えていた伊部だが、実際に10メートルの高さから落としても時計が壊れないための保護材には、野球のボールほどの厚さが必要と分かったのだ。到底時計には使えない。