会社員人生で「旬の仕事」にありつく5つの方法

会社員の成功と不遇
何が人生を分けるのか

 この4月になると、社会人になって31年が経過したことになる。同期入社には、起業してお金持ちになった人、真面目にこつこつと出世した人、アップダウンの激しい人、とびきり優秀だったのにチャンスに恵まれなかった人、すでに晴耕雨読の日々を過ごしている人など、千差万別である。自分は? といえば、ボチボチという感じだろうか。

 何がわれわれの人生を分けたのか。能力か、努力か、世渡りの技術か。私が思うに、多くの場合、たまたま「居た場所」が、その人のその後の人生を大きく左右する。

 当時、私がいた会社にはいろいろな事業部があった。人事(求人・教育)関係、不動産関係、旅行関係、大学専門学校関係、通信コンピュータ関係などだ。

 主に私自身が携わったのは、人事(求人・教育)関係だった。これを例に説明してみよう。人事関係にも大きく分けると2つの系統があった。

 ひとつは求人広告を扱う部門で、企業から広告を取ってきて情報誌に載せるのが仕事だ。たまたまそこに配属された人たちの中に、インターネット求人広告への取り組みから、ネットビジネスのポテンシャルに魅了された人たちがいた。

 彼らは、社内でのネット求人広告に飽き足らず、ネットビジネスそのものに興味を持ち、やがて自らインターネット企業を興したり、インターネット企業に転職して社長の片腕となって活躍した。まさに第一次のネット世代である。そして折しも2000年頃、日本にITバブルが到来すると、これらの新興企業の株価が高騰して大金持ちになった。現在はネットビジネスの先輩として、後進の起業家たちのメンター的な役割をしたり、いまも第一線でAIの開発などに取り組んだりしている。

 この求人部門の中には、情報誌の編集やデザインを担当する人もいた。クリエイティブにもデジタル化の波が押し寄せたが、早くからネットを意識し、デジタルに移行した人の多くは今でもデザイナーなどいろんな形で重宝されている。

 しかし、同じ編集やデザインでも、紙の雑誌が好きで、デジタルに移行するのが遅れた人は、なかなかつらいようだ。そのキャリアは本人の意向にもよるが、ネット広告の始まりのころ、デジタル系のクリエイティブの担当になったか、紙の担当のままだったかという偶然がその後の人生を左右している。